政党が解党していくつかの政党に分かれることを分党という。分党の仕方には、政党助成法上「政党の分割」と「政党の分派」がある。政党の分割では、当事者が合意の上で元の政党をいったん解散し、新しい政党を設立し、各新党の代表者が分割協議書に署名して所属国会議員の名簿を添えて総務省に提出する。円満な協議離婚に当たる。1998年1月の新進党の分党は、この政党分割で行われた。政党分割では、政党への交付金のうち議員数割分も得票数割分もそれぞれの新政党が受け取ることができる。これに対し、けんか別れに近い政党の分派は、元の政党は存続したまま、所属国会議員が離党し、新たな政党を設立する場合である。政党交付金についても、分派した側は議員数割分しか受け取ることができない。97年の新進党から分かれた太陽党、2000年の自由党から分かれた保守党、05年の自由民主党(自民党)から分かれた国民新党、09年の新党日本、10年のたちあがれ日本はいずれも分派扱いだった。自民党を離党(分派)した舛添要一はいったん改革クラブに加わり、同党が名称変更して新党改革になったため、改革クラブの政党交付金の得票数割分を継承することになり、他党からは「交付金目当て」のやり方だと批判された。12年12月総選挙で惨敗した日本未来の党は同月28日、分党を発表したが、政党分割ではなく嘉田由紀子滋賀県知事、阿部知子衆議院議員が離党して小沢一郎衆議院議員らが残る形で行われた。同党は直ちに党名を「生活の党」と変更した。日本維新の会は14年7月31日分党し、8月1日、新しい「日本維新の会」(後に「維新の党」)と「次世代の党」が設立された。