橋下徹代表の「日本維新の会」と江田憲司代表の「結いの党」が合流して2014年9月21日発足した「第三極」を目指す政党。大阪市長の橋下徹が主導して2012年9月28日結成した政党。橋下徹が大阪府知事時代の10年4月に設立した政治団体「ローカルパーティー『大阪維新の会』」が母体。11年11月、大阪府知事から大阪市長に転じた橋下は国政への進出に意欲を見せ、12年2月、坂本龍馬の「船中八策」にならって「維新八策」をまとめた。また将来の国政選挙の候補を養成するために維新政治塾を開設、3月の開講には約2000人が参加するなど一大ブームを起こした。橋下は9月12日、国政政党として「日本維新の会」を結成することを宣言し、民主党や自由民主党、みんなの党を離党した国会議員9人が加わって国政政党としての要件(→「政党の要件」)を整え、同月28日に政党として正式に届け出た。政治団体「日本創新党」を解散した山田宏、中田宏らも迎え入れたほか、幅広い結集を狙ったが、みんなの党や減税日本との交渉は決裂し、「たちあがれ日本」から衣替えして石原慎太郎が代表となった「太陽の党」と衆議院解散翌日の11月17日合流した。代表には石原が、代表代行に橋下がそれぞれ就任した。12月総選挙では54議席を獲得し、一挙に第3党の地位を占めた。13年1月には石原と橋下がともに共同代表となった。橋下がみんなの党から分かれた結いの党との合流方針を表明したのに石原が反発。両共同代表は14年5月28日会談し「分党」することで合意し、衆参両議院62議員のうち橋下側に37人、石原側に23人が参加、2人は無所属を表明した。6月22日の臨時党大会で「解党」を決め、7月31日付で正式に解党を届け出た。8月1日、いったん新たな「日本維新の会」の結成を届け出た後、9月21日、「維新の党」結党大会を開き、同日届け出た。衆議院42人、参議院11人の計53人が参加。橋下、江田が共同代表に就任した。英語名も復古調を消すためRestorationからInnovationを含む名称に変更した。略称は「維新」。12月総選挙は公示前の42議席から41議席の微減で終わった。敗北を認めた橋下は12月24日、「大阪都構想に専念したい」として共同代表を辞任し、江田が代表となった。