石原慎太郎や平沼赳夫が作り、2012年11月から休眠状態にあったのを、次世代の党の園田博之が14年12月に同党から移籍して復活させた政党。略称は「太陽」。もともと新保守主義を目指すとして平沼赳夫らを中心に10年4月10日発足した新党「たちあがれ日本」が母体。09年の民主党政権の発足に伴い、これに反発する反民主・非自民の保守主義の議員を結集してできた。石原慎太郎が東京都知事を辞め、より大きな新党の結成を目指して参加してきたのに伴い、12年11月13日、「太陽の党」に党名を変更し、さらに太陽の党は同17日、日本維新の会(→「維新の党」)に合流したが、政治資金規正法上の政党(→「政党の要件」)としては存続していた。そこで14年9月、西村真悟らが次期総選挙に向けて党としての活動を再開したものの、結局、西村らは12月総選挙には次世代の党から立候補し、所属国会議員のいない状態になっていた。そこで園田博之衆議院議員は次世代の党から太陽の党に移り、代表に就任したことを15年1月8日付で総務省に届け出た。次世代の党は9日の臨時総務会で離党を承認した。移籍が同月1日以前だったとしたため、太陽の党が持っていた政党交付金9300万円の受領資格を継承した。なお新進党の分裂に伴い羽田孜らが1996年に作った同名の「太陽党」とはつながりがない。