総理大臣(首相)を補佐する内閣官房の構成員中、政治的に任命される者は長い間政務秘書官を除けば内閣官房長官と内閣官房副長官だけであった。歴代首相はおおむねその調整機能の強化のために自己を補佐するスタッフの充実を望んできた。その最初の試みは佐藤内閣時代の内閣補佐官制度の創設であったが、実現しなかった。また、田中内閣の失敗した内閣参与制度創設の試みもあった。細川内閣に至り、田中秀征代議士が非公式に首相特別補佐に任命され、首相の演説草稿作りなどで細川首相のブレーンの役割を果たした。村山内閣では連立与党を構成する自民党、社会党、新党さきがけから中堅代議士を各1人任命し、首相補佐とした。1995年の阪神・淡路大震災後、内閣官房の強化策の一つとして、96年6月の内閣法の改正により、内閣総理大臣補佐官(通称首相補佐官)制度が発足した。その任務は、内閣の重要政策に関し、首相に進言したり、首相の命を受けて首相に意見を具申することとされている。補佐官の任免は首相の申し出により、内閣において行う。定員は最大で3人とされた(常勤または非常勤で、常勤の給与は各省庁の事務次官よりも上のクラス)。しかし、首相の権限強化を目指した2001年の改革で5人へと増やされた。この枠をすべて使ったのが安倍首相であった。そのうち4人が国会議員で、残りが民間からの起用で拉致担当の中山恭子であった。安倍内閣では、原則として毎週月曜・木曜日の朝に補佐官会議が開かれていた。しかし、首相に助言する首相補佐官と政策決定を行う関係大臣との間では連絡がうまく行くとは限らない。そこで、福田内閣では、首相補佐官は、拉致問題と教育再生の2人のみの起用となった。民主党政権においても、中小企業対策や国家戦略などの分野で、首相補佐官が多数任命されている。首相補佐官に類似した役職としては、小泉内閣では樋口広太郎・アサヒビール名誉会長が、また安倍内閣では、黒川清・前日本学術会議議長が、福田内閣では、黒川氏のほか、堺屋太一・元経企庁長官や奥田碩・トヨタ自動車相談役が、法律に定めがない非常勤の内閣特別顧問に任命された。