日本の原子力政策を審議するため1956年に設けられた組織。日本の原子力開発推進の基本計画である原子力開発利用長期計画を策定する。2004年6月新計画策定会議が発足。05年10月に原子力政策大綱に改名した計画を出した。核燃料サイクルを踏襲した計画を再確認するとともに、高速増殖炉の初号機を50年に運転開始させるとした。10年11月には5年ぶりの改定を行うことを発表したものの、翌11年3月の東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)を受けて発生した福島第一原子力発電所事故を踏まえ、同年9月には、原子力政策大綱の策定会議のメンバー変更を決定。しかし、12年9月19日に出された政府の「今後のエネルギー・環境政策について」で30年代に原発をゼロにするとの方針を受け、原子力政策大綱策定会議を廃止した(→「原発ゼロ目標」)。さらに、経済産業省によるエネルギー基本計画(The Basic Energy Plan)や、文部科学省による科学技術基本計画(The Science and Technology Basic Plan)がある中での必要性が問われ、13年10月に原子力政策大綱は廃止された。さらに、従来5人だった委員は3人に減らされ、役割もプルトニウムの管理と廃炉に向けての計画策定などに限定された。