2010年のノーベル物理学賞は、イギリスのマンチェスター大学のアンドレ・ゲイム教授とコンスタンチン・ノボセロフ研究員に「二次元物質グラフェンに関する画期的実験」という理由で授与された。
グラフェンはグラファイト1~数層からなる超薄膜シートの一般名称である。そもそもグラファイトは中性子のエネルギーを吸収し核分裂反応を制御する目的で、20世紀半ばに開発された材料で、そのうち最高の品質を持つものはHOPG(Highly Oriented Pyrolytic Graphite)とよばれ、3000℃近い高温で炭化水素を原料とするCVD法により堆積することにより、ほぼ完全な単結晶層状結晶が成長する。これを用いた単結晶グラファイトの物性研究の歴史は非常に古く、既に30年程前には今回の受賞者も用いた「スコッチテープ法」とよばれる粘着テープで薄片をはがす技術や、ドナーやアクセプターを層の間に挿入し導電性を高める「インターカレーション」という技術についての研究がほぼ完成していた。なおこの「インターカレーション」は白川秀樹・筑波大学名誉教授が00年にノーベル賞を受賞した「導電性高分子」技術に応用されたことは記憶に新しい。なおグラファイトの研究者としてはM.S・ドレッセルハウス教授が有名で、彼女は1960年代から40年以上にわたりマサチューセッツ工科大学(MIT)の教授とし、グラファイトをはじめとする新機能材料の研究において多くの研究実績を挙げた功績により、90年にアメリカの「National Medal of Science」を受賞したばかりでなく、アメリカ物理学会の会長やクリントン政権ではエネルギー省のナンバー2(Director of the Office of Science)を歴任した実力者である。
既に80歳だが、最近のアメリカの物理学会におけるチュートリアルなどを見ると、依然として現役の研究者として学会を牽引している印象を与える。ゲイム教授らはこのような長く厚いグラファイトの研究成果を基礎に、05年頃に恐らく世界で初めてスコッチテープ法によりグラファイトの1枚のシートを作製し、その特性を明らかにしたと言われることが評価されたものと思われる。このように研究結果の報告から受賞までの時間が比較的短かった例としては、酸化物高温超電導材料(ベドノルツとミュラー、1986年報告により87年受賞)の例が記憶に新しい。
なぜノーベル賞がゲイム教授らに授与されたのであろうか。電界効果トランジスタやCMOSで見られるとおり、現代の集積回路技術は既に限界に限りなく近づき、ITRSによるロードマップでも、今後数年以内にほぼすべての技術に微細化の行き詰まりが予想される。特にトランジスタの性能は半導体中のトンネル効果、キャリア移動度の限界のために、スケーリング則に従って微細化するとかえって性能が落ちる状態にまでなっている。ゲイム教授らによって見いだされたグラフェンは、移動度がシリコンよりも1~2けた大きいことが期待されるため、一層のスケーリングによる微細化(モアムーア)をブレークスルーする新規材料として最近にわかに期待され始めている。ITRSにおいても、2009年版から移動度の大きな材料として、これまでのシリコン、歪シリコン・ゲルマニウム(シリコン、ゲルマニウム結晶間の格子定数差を利用した歪により、電子や正孔の移動度を高めてトランジスタの性能を向上させたもの)などに代わり、グラフェンが次世代の材料として候補に取り上げられている。