安倍晋三首相(→「安倍政権」)の突然の辞任を受けて行われた自由民主党(自民党)総裁選(→「自民党総裁公選規定」)に勝った福田康夫を首相に2007年9月26日に発足した政権。公明党との連立は継続した。同23日投票の自民党総裁選で、福田は党内9派閥のうち8派閥の支持を取り付けて330票を獲得し、197票だった麻生太郎を大きく引き離して第22代総裁に選出された。「希望と安心のくにづくり」と題する政権構想を発表し、「自立と共生」を基本理念とした。自民党役員人事では、小泉・安倍時代と違って派閥を重視し、伊吹文明幹事長ら党三役を派閥領袖で固めた。閣僚人事では国会途中の交代だったため、閣外から新たに起用したのは2人だけで、総裁選で麻生を支持した閣僚も残留させるなど党内融和に努めた。野党に対しては話し合い路線をとり、その延長上で「大連立」も模索。10月30日と11月2日に小沢一郎民主党代表と党首会談を行ったが、不首尾に終わった。最大懸案だったテロ対策特別措置法改正案では民主党の審議引き延ばしで08年1月、3分の2多数の再議決権を行使してやっと成立させた。その後も日銀総裁人事、ガソリン税の暫定税率延長を含む租税特別措置法改正案などことごとく国会審議が難航し、内閣支持率も急低下した。7月の北海道洞爺湖サミットを無難にこなした後、8月1日、内閣改造を断行し、総裁選で争った麻生太郎を幹事長に起用するなど挙党態勢を整えた。しかし定額減税(後に定額給付金)の問題をめぐる公明党との確執や秋の臨時国会乗り切りへの自信喪失のため9月1日、辞任を表明した。安倍晋三前首相と同じような突然の政権投げ出しには強い批判が出た。