菅政権が行き詰まり退陣したのを受けて、民主党代表の野田佳彦を首相に2011年9月2日発足した政権。引き続き民主党と国民新党の連立政権。野田首相は自らをドジョウにたとえるなど低姿勢で出発。党役員・組閣人事でも幹事長に小沢一郎元代表に近い輿石東を、同じく小沢元代表に近い山岡賢次を国家公安委員長・消費者行政担当相に起用するなど「挙党態勢」「党内融和」に腐心した。10月20日召集の臨時国会での焦点は東日本大震災からの復興策だった。復興増税では民主党内の了承取り付けが難航したが、最終的には合意を得た。舞台は与野党折衝に移り、これまた難航したものの、復興特別所得税の期間を当初案の「10年間」から「25年間」とするなど大幅に譲歩した結果、合意に達し成立させた。12月9日までの臨時国会では、復興増税法のほか、第3次補正予算、復興庁設置法など東日本大震災関係の案件は成立したが、公務員給与引き下げの法案や郵政改革法案など他の重要法案は成立させることができなかった。野田首相は11月11日には党内外の反対論を押し切って環太平洋経済連携協定(TPP)交渉への参加を決断した。12月29日には社会保障と税の一体改革として、消費税引き上げ時期を当初提案から半年遅らせて「14年4月に8%」「15年10月に10%」とする譲歩案を示して民主党側の了承を取り付け、12年1月6日の政府・与党の社会保障改革本部で「素案」として決定。野党に協議を申し入れた。組閣直後に鉢呂吉雄経済産業相が「死のまち」発言で辞任し、一川保夫防衛相と山岡賢次消費者行政担当相に対する問責決議案が参議院本会議で可決されたため、1月13日には内閣改造に踏み切り、一川、山岡の両閣僚を更迭したほか、岡田克也を副総理兼一体改革担当相に任命して「消費税増税シフト」を強化し態勢立て直しを図った。野田首相は自由民主党(自民党)の谷垣禎一総裁に働きかけるなど自民、公明両党の協力取り付けに努めた結果、民主、自民、公明3党は6月15日、消費税増税関連法案の修正に合意し、同法案は衆議院を通過したが、消費税増税に反対する小沢元代表らが集団離党し、民主党は分裂した。参議院審議に移ると、自民党は内閣不信任決議案をちらつかせて野田首相に解散時期の明示を迫った。野田首相と谷垣総裁、公明党の山口那津男代表との会談が8月8日にもたれ、首相は「増税法が成立した暁には近いうちに国民に信を問う」と約束し、消費税法案は10日、参議院でも可決され成立した。しかし野田首相は秋の臨時国会でも衆議院解散を先延ばしにしたため、自公両党は特例公債法案を人質にとって早期解散を求めた。この結果、野田首相は11月14日の安倍晋三自民党総裁との党首討論で、衆議院の定数削減などを条件に「16日解散」を明言し、衆議院解散に踏み切った。選挙結果は民主党がわずか57議席と惨敗し、政権を降りた。