2016年6月23日に実施されたEUからの離脱を問うイギリスの国民投票で、離脱への賛成票が反対票を僅差で上回り、離脱が現実のものとなったこと。大方の予想を裏切る結果となり、ヨーロッパはもとより全世界に衝撃をもたらした。まさかの離脱決定を目にした欧米メディアは、イギリス(Britain)のEUからの離脱(exit)という2語を結び合わせてBrexit(ブレグジット)という表現を用い、その衝撃波の及ぼす影響がいかに大きなものであるかを内外に示した。この結果、EU残留を狙ったデイビッド・キャメロン首相(→「キャメロン政権」)が退陣し、代わってマーガレット・サッチャーに次ぐイギリス政治史上二人目の女性首相として、テリーザ・メアリー・メイ新保守党党首が7月13日に首相に就任した(→「メイ政権」)。国民投票に至る伏線は、EU加盟国となった中・東欧諸国からの移民が職を求めてイギリスに押し寄せたことにある。その結果、失業の増大と治安の悪化が進み、元からの国民は不満を募らせていった。国民投票は、キャメロン政権がこうした国民の不満を鎮めることを狙って実施を約束したものであり、多くの国民も敗北は想定していなかった。EUの単一市場ではモノ・ヒト・カネの自由な移動が前提となり、イギリスはヒトの移動の自由を保障するシェンゲン協定の加盟国ではないものの、イギリス市場の豊かさを求めて移動する中・東欧諸国からの労働移民を制限する有効な手立てを持ち合わせていなかった。加えて、シリアやイラクの内戦から逃れる難民がEU諸国になだれ込んだ影響を受け、イギリス国民の不安感を刺激したことも否めない。
イギリスのEU離脱決定の衝撃は当然他のEU諸国にも及び、中東やアジアからの難民流入に反感を強めた人々の多くが、移民・難民の排斥を叫ぶ右翼勢力への支持に傾いていった。フランスでは極右政党の国民戦線(Front National ; FN)が地方選挙で相次いで勢力を伸ばし、ドイツでも難民受け入れに積極的なメルケル政権に対して、極右の「ドイツのための選択肢(Alternative fr Deutschland ; AfD 独)」などのポピュリスト勢力が、地方選挙で既成政党を脅かす躍進を遂げることとなる。他のEU加盟国でも、オーストリア大統領選挙(2016年)で移民受け入れ反対を訴える極右「自由党」のノルベルト・ホーファー候補と環境派政党「緑の党」が推すアレクサンダー・ファン・デア・ベレン候補が争い、接戦の末ファン・デア・ベレン候補が辛うじて勝利を収めるなど、反移民・反難民感情が様々な国の国民心理に深く浸透しつつあることを示した。
こうした排外意識はEU加盟国のナショナリズムを刺激してやまない。この意識が反EU意識をも刺激し、EU統合の深化に対する反感を高めて、統合とは逆向きの遠心化(→「ユーロ危機とEU統合の遠心化」)を強める要因ともなりかねない。イギリスを除くEU加盟国、中でもEU統合の牽引役を担ってきたフランスとドイツが、イギリスのEU離脱への対処を巡って厳しい姿勢で臨むのは、このような遠心力の加速に歯止めをかけざるを得ないからだ。離脱に際して「移民規制」と「EU単一市場への残留」の両立を狙う「いいとこ取り」を許さない姿勢を堅持しているのは、その一環と見てよい。EU首脳会議でもこの方針を堅持してイギリスとの離脱交渉に臨み、結局17年1月17日のメイ首相による単一市場からの完全離脱(ハードブレグジット)の声明を引き出した。このような経過をたどりながら、イギリスでは完全離脱が既定路線となりつつあるが、離脱の連鎖が起こるかどうかは、現段階では予測の限りではない。しかし、ヨーロッパ全域に拡散しつつある反難民・反移民意識が今後も高まるとするなら、EU離脱のドミノ現象が生まれないとも限らない。その点でも、17年に予定されるフランスの大統領選挙やドイツ総選挙の結果が注目される。