旧称グルジア(→「グルジア呼称問題」)。カフカス西部を占め、黒海に面する共和国。首都はトビリシ。人口は約430万人(2014年、国連人口基金)。ジョージア正教が主要宗教。ソビエト連邦(ソ連)末期、独立運動を指導した英文学者ズビアド・ガムサフルディアが、1991年5月の直接選挙で初代大統領に就任。しかし、ジョージアからの分離・独立を目指していた南オセチアおよびアブハジアへ強硬姿勢をとったことで、内政は不安定化。92年1月、軍事クーデターにより失脚(93年12月死去)した。その後、ソ連・ゴルバチョフ政権で外相を務めたエドワルド・シェワルナゼが国家評議会議長、95年には直接選挙で大統領に就任。内戦を抱えつつ国家建設に取り組む。2003年11月、議会選挙で開票に不正があったとして抗議運動が拡大し、シェワルナゼは辞任(バラ革命)。04年1月の大統領選挙で、野党指導者の一人、ミハイル・サーカシビリが得票率96%と圧勝。汚職対策で成果を上げ、特に欧米におけるジョージアの好感度を高めたが、次第に強権的な姿勢が目立つようになった。対外的には民主主義・経済発展機構(GUAM)を軸に親米・親西欧路線をとり、ロシアとの対決姿勢を強めたが、一方で北大西洋条約機構(NATO)への加盟見通しは立たず、他方、分離派への強硬姿勢が08年8月の南オセチアにおける対ロ紛争を招いた。紛争後、独立国家共同体(CIS)からの離脱を表明、09年8月に正式脱退(→「ロシア・ジョージア紛争」)。12年の議会選挙、13年の大統領選挙でサーカシビリ政権の与党「統一国民運動」が敗北し、野党政党連合「ジョージアの夢」が勝利。新大統領にマルグベラシビリが就任し、平和裏に政権交代が実現した。(→「ジョージア議会選挙(2012年)」、「ジョージア大統領選挙(2013年)」)