山川草木、岩石、火、日月星辰、風雨、雷電、虫魚鳥獣といった天然自然の森羅万象に霊的なものを認めて信仰するアニミズムや自然崇拝は、原始信仰としてどの民族にも見られ、日本の神信仰の基礎になり、民俗宗教として神道が形成されていった。神を祀(まつ)る際には、禊(みそぎ)、祓(はらえ)をして身体を清浄にし、巨岩や樹木に姿のない不可視の神を迎えて祭りが行われていた。やがて仏教や儒教、道教(タオイズム)、陰陽道の影響を受けて、神殿や神像が造られ、祭儀や教理も整えられていった。平安時代には神仏習合によって僧侶の側から仏を優位とする本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)が形成されたが、中世になると、神を優位とする反本地垂迹説も現れた。民衆は豊作や大漁、天下泰平、家内安全、商売繁盛など、この世での幸福を祈願して祭りをしたり、神社に参詣したりした。都市では華やかな山車(だし)の行列が繰り出され、祇園祭のような見物する祭りも現れた。明治維新には排仏運動(→「廃仏毀釈」)が展開され、政府によって神仏分離が推し進められる一方で、皇室神道や神社神道は国家の祭祀をつかさどることになり、宗教ではないとされた。他方、幕末期に現れた神道系の新宗教や山岳信仰(→「修験道」)の組織を統合した団体などのほうが、布教を行う「宗教としての神道」とされて教派神道が生まれ、国家神道体制が形成されていった。戦後、GHQ(連合国軍)によって国家と結びついた国家神道の廃止と信教の自由を命ずる指令が発せられた後、神社神道は宗教法人となり、国家の管理から離脱した。