今こそ、自己中心的価値観を捨てよ
以上のような現象の背景には当然のことながら、(1)行政ならびに立法上の問題、(2)金融市場の運営、(3)テクノロジーの発展と経済のグローバル化などがあったが、加えて(4)人類(特に先進国)全般における価値観の変化も指摘できる。利他心の欠如と過剰な自己中心主義の勃興、異常な金銭欲と物質主義への傾倒、人々の間の「共感」の欠如などが指摘できよう。政治的な問題に関しては、特にレーガン政権以来の「貯める前に借りて消費することの推進」が経済成長を促し、「レーガノミックス」と呼ばれ『強いアメリカを創る』と信じた錯覚と、そのアメリカからの圧力に屈した日本の「前川レポート」を出発点とする内需振興策の誤りを指摘できる。日本では結局、大不動産バブルを招き、その後の長期的経済低迷に帰結した。不動産バブル、ITバブルなど、バブルの崩壊のたびに日米中央銀行を中心に低金利で過剰流動性が供給された。ITの発展は証券化と、証券化された金融商品の国際市場での流通を進めた。価値観の変化は株価至上主義など極度の拝金主義を招き、社会では人間の尊厳が軽視され、自然環境と社会環境の劣化を導いた。また貧富の格差を広げた。
リーマン・ショックは、経済の低迷という否定的なとらえ方もできるが、一方、人類にとって決して好ましいとは思えない経済社会の膨張を止めたという意味では、肯定的にとらえるべきことである。
経済危機、いまだ去らず
09年7月現在、世界の株価の回復傾向が、経済回復に対する楽観論を招き、「経済危機は去った」というような認識が進んでいる。しかしこれは、国家部門の債務過多による過剰支出と低金利がもたらしたバブルの再来に過ぎなく、持続可能なものではない。実体経済を見るならば次の6点が言える。(1)アメリカにおける失業率の増加は進み、一方アメリカ国民の貯蓄率は一時ゼロであったのが、最近では6%程度に上昇し、更に上昇すると予想されている
崩壊への要因、財政赤字と不良資産
筆者は、各国政府の巨額財政赤字、すなわち民間が借りて消費しないならば政府が借りて大盤振る舞いをするという財政赤字がもたらす結果は、より大きな経済崩壊による「二番底」への進展にならざるを得ないと悲観的にとらえている。何故なら、拙速に創られた景気刺激策は、決して有効需要を継続的に喚起するような技術革新を招かず、「単なる大盤振る舞い」に終わり、抱えた借金は返済不能となる確率が極めて高いからである。金融市場の浄化は決して進んでいない。不良資産は金融機関のバランスシートの中に閉じ込められ分離されておらず、最終処理はほとんど進展していない。売却して低価格がつくことを恐れる資産は売却されず、大きな含み損を生じている。政府は国家権力でもってそれを整理(銀行国有化)することにちゅうちょし、実質的には金融機関のお化粧を容認している。今は淘汰される金融機関が中小金融機関に限られているが、やがてまた巨大金融機関の最終整理が課題となる時が、必ず来るものと思われる。アメリカの金融市場史は、金融機関破綻の歴史でもあった。リーマン、ベア・スターンズに限らず、これまでもソロモン・ブラザーズ、ドレクセル・バーナム、キダー・ピーボディー等々の多くの金融機関が次々と破綻してきた。
望まれる金融規制の厳格化
健全な金融市場の姿はいまだ見えない。しかしながらアメリカ政府、ヨーロッパ先進諸国の政府ともに、次のような新たな対策が出てきている。(1)「大きすぎて潰せない」という事態の回避、(2)バンカーが過剰なリスクをとって収益をあげようとすることを阻止する報酬体系に関する規制
「共感」への回帰が新たな社会生む
一方、人々の価値観の変化はすでに起こっていると思われる。資産の下落、失業などはこれまでの生活態度を改める大きな機会となった。価格を求めるのではなく、また数量を求めるのでもなく、「価値」を求めるというような消費者の性向は顕著である。「貯める前に借りて使う」といった傾向は後退し、貯蓄率は上昇している。特に若い世代には物質的な満足よりも精神的な充実を求めるという傾向も出ているのではないだろうか。こうした価値観の変化が、今後たどる道を占うほどの眼力を筆者は持ち合わせないが、社会での「共感」が増し、自然環境に限らず、社会環境の整備に一層の配慮がなされるのであれば、GDPといった指標の動向は別として、より住みやすい社会が構築される方向に向かうのかもしれない。