ビッグデータで高まる利便性
「ビッグデータ」という言葉が、ITの世界で急速に注目を集めています。ビッグデータというのは、インターネットで収集された膨大な量の情報そのもの、またはそれを解析し、そこから意味をすくい上げて活用するための技術のことです。たとえば、オンラインショッピングのアマゾンや楽天などのサイトには、消費者が本やDVDなどどんな商品を買ったのかという大量の購入履歴が蓄積されています。グーグルには電子メールの中身やどんな検索が行われたのかという情報、フェイスブックにはだれとだれがつながっていて、どんな日記が書かれてどんな写真が撮られたのかという情報が大量にため込まれています。これらの大量の情報を分析して、有効活用しようということです。たとえばアマゾンではなにかの商品の情報を見ると、「この商品を買った人はこんな商品も買っています」と表示されますが、これもビッグデータ分析のひとつです()。
ビッグデータの普及で、さまざまな利便性が高まっていくのは間違いないでしょう。たとえばコグニティブコンピューター呼ばれる新しい分野があります。これはいちいち検索キーワードを入力しなくても、人々がいま何を求めているのかをさまざまな情報からコンピューターが解釈して、自然な会話のようなスタイルで情報を提供してくれる技術です。たとえば、グーグルは電子メールやスケジュールの内容、スマホの地図上で現在地がどこなのかといった情報を総合して、「1時間後に予定されているランチの場所に向かうためには、そろそろ出発しなければ間に合わないですよ」というようなアドバイスをしてくれるアプリをつくっていますが、これもコグニティブコンピューターの一種です。
ビッグデータの技術は今後、メガネや腕時計などの形状で、体に装着できる「ウエアラブル」と呼ばれる機器とも融合していくと言われています。グーグルはメガネ型で動画の撮影などができる「グーグルグラス」と呼ばれる機器をすでに開発していますが、今後はこうしたウエアラブルに心拍や運動量、体温、血圧、発汗量などのセンサーを組み込み、体の状態をつねに測ることができるようになっていくでしょう。こうしたデータが大量に収集されて、医療や健康維持などに使われていくことになります。これがコグニティブコンピューターと組み合わされれば、「いまの状態の生活をしていると、2年後には糖尿病にかかる確率が20%を上回ります」といったアドバイスも可能になるかもしれません。
また、道路や下水管、気象センサー、自動車、家電などありとあらゆる物理空間のモノをインターネットに接続してしまおうという「モノのインターネット」という概念がありますが、これもビッグデータ分析することで渋滞予測や天気予報などをより精密に、今よりもずっとリアルタイムに行っていくことが可能になると考えられています。
プライバシー侵害に対する不安
このように、人間社会のあり方を一変させそうなビッグデータ技術ですが、一方でこれによって個人のプライバシーがすべてあからさまになってしまうことへの不安も生じています。たとえばしばらく前に、JR東日本がICカード「Suica」のデータを日立製作所に販売し、同社がデータを利用してマーケティング情報として契約企業に提供するという試みがありました。しかし、発表された直後から「プライバシーの侵害だ」という批判が高まり、間もなく中止に追い込まれてしまっています。このSuicaのデータは膨大な利用情報をまとめているだけで、個人情報は含まれていませんから、個人情報保護法に抵触するものではありませんでした。法律違反ではないのにもかかわらず、消費者は「気持ち悪い」というプライバシー侵害の感覚で受けとめてしまいました。
ビッグデータには、二つの使い道があります。ひとつ目は、マーケティングや疾病の発症傾向を調べるなど、データを丸ごとそのまま使うというマクロな利用方法。もうひとつは、データを分析した結果を、人々に「おすすめ」などの形でフィードバックするミクロな利用方法です。前者は、人々から見れば「自分のあずかり知らないところで勝手にデータが利用されている」と映ってしまい、これがプライバシー侵害の反応を引き起こしてしまいます。JR東日本のケースもこれに当たるでしょう。
相互扶助による新しい関係を目指そう
今後、ビッグデータが普及するにつれ、プライバシー侵害への批判はさらに高まっていくでしょう。ただ私たちがひとつ考えておかなければならないのは、ビッグデータ技術が当たり前になっていく世界では、自分の個人情報やプライバシーを提供することによって、健康維持や生活サポートなどの利便性を得られるというような「相互扶助」が、そこには生まれてきているということです。そういう世界では、プライバシーにこだわるよりは、ある程度自分の生活や状況をオープンにして提供し、そこから得られる利便性を享受するというほうが、生きやすいということにもなります。もちろんクレジットカードの情報を奪われたり、自宅の住所をさらしてしまうリスクを負うというようなことは避けなければなりませんし、どのように最低限のプライバシーを維持していくのかを考えることは今後も重要ですが、すべてのプライバシーを隠していくというのは、これからの時代にはあまり現実的ではないということになっていくでしょう。
プライバシーの概念は時代とともに変化しています。プライバシーという考え方は近代社会の産物で、中世のころはそもそも概念自体が存在しませんでした。現代でも、中高年の人たちに比べると10~20代の若者は比較的プライバシーに無頓着だと言われています。そういう世代の交代によって、これからはプライバシーとテクノロジーの新しい関係が育っていくのかもしれません。