地方分権推進委が第1次勧告を提出
2008年5月30日、政府の地方分権改革推進委員会が第1次勧告を福田康夫首相に提出した。この委員会は、1995年から2001年まで6年間にわたる審議結果を地方分権一括法に結実させた地方分権推進委員会の後継とされる。それゆえ、第2次分権改革と呼ばれる。その第1次勧告は、「生活者の視点に立つ『地方政府』の確立」をテーマに、国の各府省の権限をできるだけ地方自治体に移譲して、自治体が自由に運営できる領域を拡大しようと、07年4月から取り組んできた結果である。各府省の抵抗は強く、権限移譲をはじめ国の基準の緩和についても「ゼロ回答」が続くなかでの審議であった。
勧告で告白するように、「当委員会側の言い分と折衝相手側の言い分のどちらに理があるか、広くは国民・住民に直接に判定していただくため」に、審議の模様を動画配信までしている。そして、「意図するところに共感され、今回の第1次勧告を強く支援していただければ幸いである」と訴えている。官僚機構の抵抗に一撃を加えようとする審議会、それを応援する国民、これがこの委員会の描く基本戦略である。
すべての分野で「ノー」が突きつけられた
この戦略はいまのところ失敗に終わっている。審議会の力不足か、はたまた国民の支援が足りなかったからか、結局、幼保一元化・子ども、教育、医療、生活保護、福祉・公営住宅、保健所、労働、土地利用、道路、河川、防災、交通・観光、商工業、農業、環境のすべての分野で、「ノー」が突きつけられたのである。これらの多くは、第2次勧告への先送りとなった。はたして各府省の抵抗を押さえつけて意味ある勧告事項を示すことができるだろうか。ことは福田首相の官僚機構への指導力にあるといわれているが、各府省との良好な関係を維持しようとする福田政権にそのような力量はあるだろうか。ところで、勧告事項にはみるべきものもある。国庫補助をうけて実施した事業の財産(施設など)の処分が弾力化されたことである。国庫補助対象財産は、目的外への転用、譲渡、取り壊し等に対して所管府省の制限が課せられており、使命を終えた施設などの自治体による活用が阻害されてきた。今回の勧告ではこれに対し、(1)おおむね10年経過した財産は、原則、事後の届け出、報告等をもって国の承認があったものとみなす、(2)10年経過前であっても、災害による財産の損壊等、補助事業者等の責に帰することのできない事由による場合や、市町村合併および地域再生等の施策に伴う財産処分についても同じとすることとした。府省によってはすでに同様の改善を行っていたところもあるが、各府省そろっての弾力化は歓迎されて良い。
疑念を抱かせる第2次地方分権改革
それにしても、いまなぜ第2次地方分権改革なのか。2000年に地方分権一括法が施行されてまだ8年しかたっていない。しかも、多くの自治体はこの8年間のほとんどを市町村合併への対処に翻弄され、また、「三位一体の改革」が引き金となって引き起こされた地方財政危機への対応に追われて、分権改革の実施どころではなかった。第1次分権改革は、明治以来の中央集権型システムにメスをいれ、自治体における自己決定を進め、自治体の責任で地域を運営していく体制を準備した。国に顔を向けた政治行政ではなく、住民と向き合う自治政府をいかにして創り出していくのかが、法律施行後の自治体の課題であった。また、先の分権改革は、「国・地方の関係が変わる」「行政が変わる」「地方公共団体が変わる」こととならんで、「地域やくらしが変わる」ことを目標にした。あれから約10年、私たちの地域やくらしはどう変わっただろうか。無関心と相互不信が渦巻く社会ではなく、こころ許し合える隣人との連帯の喜びに満ちている社会、私たちはそのような地域社会を築くために、地域での自己決定と実践への参加を分権改革に求めたのではなかったか。改革を急ぐ理由は道州制や「政官関係」という別の動機にあるのではないか、と疑念を抱かせる第2次分権改革である。
議員集団が勧告に反対する理由
とはいうものの、自由民主党の地方分権推進特命委員会という議員集団は、この勧告に大きな反対の声をあげており、これと一緒にされるのも本意ではない。この集団の「特命」は容易に推し量ることができる。要するに、各府省の権限、議員にすれば既得権益を地方に譲り渡すことは「相ならん」ということだ。第1次勧告についての意見交換では、「大規模農地の転用許可を現場に任せれば転用は進み、農地が減る。食糧自給率を上げるために農地確保へ国が責任を持つべきだ」などの意見が出たという。自民党には「道州制推進本部」もあり、分権を前提にした道州制の導入を企図している。はたして、このふたつの議員集団は両立しうるのだろうか。第2次地方分権改革は、国と地方の図式に政治の思惑という要素が入り込んで、海図なき航海に出ようとしているかのようだ。「何のための分権か」を国民レベルから積み上げていくことが求められている。