これが地方出先機関の現状だ
2008年8月1日、政府の地方分権改革推進委員会(以下「委員会」)は「国の出先機関の見直しに関する中間報告」(以下「中間報告」)を公表した。ここで「国の出先機関」とは正確には「地方支分部局」といって、国家行政組織法および各府省設置法で設置される地方機関のことである。全府省をながめてみると(07年7月1日現在)、管区(ブロック:数府県にまたがって設置される)機関が119、府県単位が425、その他、府県単位以下で設置されている出張所・事務所等が3336機関、総計3960機関存在する。これらの地方出先機関で働く職員の定員は約21万人で、国の行政機関トータル約33万人の64%を占めている。つまり国家公務員の3分の2は地方機関に勤務していることになる。それに要する地方出先機関の予算総額は、おおむね13兆3806億円(社会保険庁を除く)にのぼっている(05年度決算ベース)。これとは別に295万人の地方公務員がそれぞれの地域で仕事をしている。
いうまでもなく、地方公務員は全国の都道府県・市区町村に身を置き、地域住民の福祉の向上および生活の安心・安全のために働いている。このように、国の機関と自治体政府がそれぞれに職員と予算をもって仕事をしているのが現状である。
戦後日本の省庁は、一方で自治体政府に多くの事務処理を委任しながら、他方で自らの組織が地方で事務を執行するという状態を続けてきた。そしてこのような現状は今日までいっこうに改まることがなかった。
問題視される構造的な欠陥
このような実態を解消するためには、出先機関の仕事自体が地方を舞台にして処理されているのだから、それらの仕事を自治体政府に一括して任せることが検討されるべきである。07年5月25日に経済財政諮問会議の民間議員から提出された意見書「国の出先機関の大胆な見直し」は、8府省15系統の出先機関について「地方に移譲可能」と断じ、その具体的な検討を委員会に求めた。08年度「経済財政改革の基本方針」(骨太の方針)がこれを追認し、国の出先機関の合理化は政府全体の方針になった。
どこが問題だと認識しているか。委員会は冒頭の「中間報告」において、「国の出先機関での無駄遣いの実態や、北海道開発局の事業をめぐる官製談合事件などを通じて、あらためて出先機関における構造的なガバナンス(統治)の欠陥が問われる事態となっている」と述べている。地方出先機関で無駄遣いの実態があるとしても、「中央から離れている」こともあって、「国会や大臣等によるチェック機能が働きにくい」という。
非効率な国と自治体の「二重行政」
だが、地方出先機関の問題は、そのような無駄遣いが地方出先機関で行われていることや、それを国会・閣僚等がチェックできないということにあるのではない。「中間報告」では、このような実態が存することをもって「ガバナンス(統治)機能不全」とし、したがって大幅な見直しが必要だとする。そして、その改善方法として「議会や住民との距離が縮まり、事業の執行等について透明性が高まる」から、自治体政府への移譲が望ましいという。しかし、事の本質はそこにあるのではない。無駄の典型は、自治体政府で扱っているのと同じ仕事を、国の出先機関でも行っているという「二重行政」そのものなのである。つまり、「自治体政府でできる仕事は自治体政府に任せる」ことが基本でなければならない。
たとえば、国道の管理について委員会は、(1)同一府県内に起終点がある区間、(2)バイパスに並行する現道区間を含む路線の区間、(3)起点から終点までの一部に都道府県管理となっている区間を含む路線の区間、を地図上に示すように求めた。
委員会は、このような基準で一部の国道を地方管理に移すことを考えているようだが、これでは問題は解消しない。地図上に描かれた国道は、その府県内についてすべて自治体政府の管理にする、といった単純な発想が必要である。たとえば、路上への落下物について、あるいは河川の増水について住民たちが通報したり、逆に問い合わせたりするのに、いちいち管理権がどこにあるかを確認しなければならないことは、真の意味での「無駄」というものである。
だれが官僚機構に手を着けるのか
しかし、これまでの議論をみるかぎり、そのようには展開しないであろう。いまや国の地方出先機関の問題は、「行政の無駄」や「地方分権」の話ではなくなっている。たとえば、内閣の閣僚選びに際して、官僚機構に断固たる姿勢で臨む政治家か、あるいは官僚機構とはけんかできない政治家かが話題になり、自民党・民主党のいずれが官僚機構の横行を制御できる政党かが政権選びの目安になったりする。出先機関の見直しは、国の府省の権限と予算と職員を減じることになる。当然、各府省の抵抗はすさまじいものがある。戦後改革で各省庁の勝手を許してから半世紀以上のあいだ、どの政権にも手を着けられなかった悲願を、誰がどのように実現できるのであろうか。そもそも、いま官僚機構に手を着けられるほど国民的支持を得た内閣は存在していない。総選挙・新内閣を通じて、国民が目を凝らしていなければならないのは、国の政府、地方政府ともに、国民が暮らしやすい社会を実現する、という使命に向かっているかどうかということだ。