2000年代で最悪の状況
この1年間の北朝鮮を巡る「三大事件」を挙げるとすれば、2009年5月に2度目の核実験を強行したこと、「激やせ写真」で世界に明らかになった金正日総書記の健康悪化、そして金総書記の三男といわれるジョンウンの後継作業の端緒が現れたことだと言えよう。このうち核実験に関しては、北朝鮮国内の関心はあまり高くない。ぎりぎりの生活を強いられている大多数の庶民にとって、大事なのは日々どうやって暮らしていくかということ。「核保有して国の独立と尊厳を守る」と当局がいくら宣伝しても、生活とは関係なくてぴんと来ないのだ。むしろ核開発に多額の資金が回されたことが国民の暮らしを悪化させた原因だと考える人が多く、核実験はすこぶる評判が悪い。金正日政権が核実験を強行する中で、民衆の困窮が進んだ。09年に入ってからは、一部地域で餓死者が発生している他、コチェビと呼ばれるホームレスの数が全国で増えていると、北朝鮮内部の取材パートナーたちからの報告が相次いでいる。1990年代後半に大量の餓死者を出したときほどではないが、民衆の生活は今世紀に入って最悪の状態ではないかと筆者は見ている。
2009年に入って困窮がひどくなった理由は大きく三つある。ひとつはリーマンショックに端を発した国際金融危機の影響だ。北朝鮮の外貨の稼ぎ頭は鉄鉱石、石炭などの鉱物資源なのだが、これらの国際価格が金融危機のために暴落してしまった。二つ目は李明博政権発足以降、北朝鮮当局が韓国との関係を悪化させた影響だ。毎年40万~50万トンあった食糧支援と化学肥料の受け取りを拒否し、約40億~50億円の収入が見込めた開城(ケソン)、金剛山観光も中断してしまった。多額の外貨収入を自ら放棄してしまったようなものだ。そして三つ目は、金正日政権が国内の統制を強めて、庶民の命綱である商売行為が規制されて家計の現金収入が減ったことである。
北朝鮮経済は「デフレ」の様相
1980年代の後半に経済が破綻した北朝鮮は、今では国営企業の約8割が稼働停止状態で、食糧配給制はほとんど機能せず、軍隊ですら栄養失調者が続出する有り様だ。しかし取材パートナーや内部の人たちは「市場に行けば国産、外国産の食糧は十分にある。食糧危機ではない」と共通して証言する。むしろ8月の各地の食糧価格は前年同時期よりも20~30%も下がっている。にもかかわらず、家を失ってさまよう人が増大し、餓死者まで発生している理由は、食糧が足りないからではなく、食糧にアクセスできないことに原因がある。つまり、前述したように金融危機と韓国との関係悪化の影響で、国としての外貨収入が減って金回りが悪くなっているところに、あえて商売行為への統制を強めるという愚策(景気引き締め)を行ったために、経済が急速に委縮して、一種のデフレの様相を呈しているのだ。
2012年に経済復興を成し遂げるというスローガンの下、09年の4月から「150日戦闘」という国民総動員運動が始まった。まともに稼働もしていない工場や、農村などに労働者はもちろん学生、家庭の主婦までが無理に動員された。その影響で市場は午後遅くからしか開かれなくなった。また市場で扱える商品の量や品種も厳しく規制された(例えば平安南道や平壌市では一人で扱える量は10キロまで、家電製品や薬などは売れない、など)。
現在、民衆のほぼ唯一の現金収入源は合法非合法の商行為である。それに対して規制をかけられるのは死活問題だ。不足する現金を補うためや借金を返すために、最後の手段として家を売る。こうして子供が放浪したり、家族単位でコチェビに転落するケースが続出しているのだ。経済難と商売への規制が原因とはいえ、「資本主義型の転落」が横行しているのである。
広がる「ポスト金正日」への期待
現在北朝鮮国民がもっとも注視しているのは、「ポスト金正日」の時代がどうなるか、だろう。激やせした金総書記の姿を写真やテレビで見て、人々は「金正日時代」が終焉(しゅうえん)に向かいつつあることを強く意識し始めている。それに伴い、次の時代の社会と政治が変化することを待望するムードが、北朝鮮社会に一気に広がっている。1994年7月の金日成主席死亡後の金正日時代は「失敗した15年」だというのが一般庶民はもちろん、官僚や幹部に至るまでの北朝鮮国民のコンセンサスだと言っていい。大量の餓死者まで発生させ、今なお改革開放に踏み切れないまま生活がどんどん悪くなっているから、当然と言えば当然である。
自由に本も読めず放送も聴けず、まして外国に出ることもできない国に未来などありえないということを、幹部たちはよくわかっている。同じ社会主義でも中国のように開かれてこそ将来の発展があり、そのような所で子供を育てて能力を付けさせたいと考えているのだ。
指導者の健康悪化、経済の疲弊と核問題による国際社会との葛藤の深まりによって、今後、北朝鮮の体制が不安定化していく可能性が増している。戦争や死者が出るような大混乱を避けるために、「ポスト金正日」の時代に期待したいのは、北朝鮮の40~50代の若い官僚たちだ。この新しい世代のエリートたちは、朝鮮戦争を知らず韓国に対する敵対意識も希薄な上、中国とベトナムの成功を知っており、ほとんどは国家再生には改革開放しか道はないという「常識」を持っている。つまり「ポスト金正日」の問題の本質は、誰が後継者になるかではなく、改革開放にかじを切れるかどうかなのだ。日本と韓中米が、この若い世代から次代を担う新しいリーダーが出て来られるように協調して導いていくことが、北朝鮮問題解決のためのもっとも望ましい道筋だと思う。