高まる社会変革のうねり
中東・北アフリカ地域で、社会変革のうねりが生まれつつある。2011年1月から2月にかけて、チュニジアとエジプトで長期独裁政権が倒れ、リビアではカダフィ大佐の独裁体制と反政府勢力の間で内戦になった。うねりの中心にいるのは若者たちだ。アラブ諸国の人口は、過去40年で3倍になり、人口の6割が30歳以下である。多数派である若者が、自分たちの価値観や政治観を、政治に反映させたいと思うのは当然だ。
古い政治的体質を持つ国が多い中東では、若い世代からの変革の要求が、次に、いつ、どこで噴出するかはわからないし、この変動の波から逃れられる国はない。穏やかであれ急激であれ、中東の国は変わることを迫られている。
閉塞感を吹き飛ばした大衆行動
中東・北アフリカの大部分の国には、「不満を言えない不満」が存在した。独裁体制下の共和制あるいは王制国家でも似た状況だった。例外はトルコとイスラエルぐらいだ。共和制の国では、選挙が行われ国会があるが、形だけだ。政治への不平や不満でも、即、反政府活動と見なされた。秘密警察が、聞き耳を立て、人々の生活を監視した。不満を表明した人が、ある日消える、あるいは拘束されて拷問を受ける国も少なくない。重い沈黙と閉塞(へいそく)感が社会に漂っていた。
チュニジアとエジプトの若者を中心とした大規模な抗議行動は、その閉塞感を吹き飛ばした。そのエネルギーは政治的な爆発力を持つが、組織化されておらず、政治的な受け皿なしで政権を打倒してしまった。
当面の混乱は、避けられない。また「不満を言えない不満」は消えても、不満の原因は存在しており、即効の解決策はない。何も変わらないかもしれない。
しかし、変わるかもしれないという期待感が生まれている。これは、中東では新しい要素だ。
発火点はチュニジア
一連の変革の最初の契機は、10年12月17日、チュニジアの野菜売りの無名の青年が、警察の取り締まりに抗議して焼身自殺したことである。イスラム教では、自殺は厳禁だ。イスラム教徒が、抗議の焼身自殺をするなど前代未聞である。あの日、若者の怒りは限界を超えたのだろう。またエジプトでは、若者たちが数年前から「キファーヤ(もう、うんざり)」とよばれる抗議行動を開始していた。若者たちは、閉塞した政治や社会に愛想を尽かしていた。一人のチュニジア人青年の憤死は、チュニジア全土での大規模な抗議行動の呼び水になり、23年続いたベンアリ政権をあっけなく崩壊させた。チュニジア政変の衝撃は、エジプトに伝わり、さらに大きな抗議行動を生み出し、30年近く継続したムバラク体制を約3週間で崩壊させた。
他のアラブ諸国の若者たちも、同じ怒りやいらだちを共有している。どこで火がついても不思議ではない。
中東を揺るがしたIT革命
今、二つの衝撃が中東を揺るがしている。一つは、若者たちが獲得した新しい抗議行動のモデルであり、ITを駆使した社会的ネットワークが持つ爆発力の大きさである。もう一つは、アラブ世界の大国エジプトで政変が起きたことである。良くも悪くもエジプトはアラブ世界の中心である。そのエジプトで起きた政変の衝撃は、中東世界を直撃した。
衝撃を受けた各国には、それぞれの独自の事情があり、不満の種類も違う。抗議活動の形も異なるし、政府の反応も違う。
リビアでの抗議行動は、内戦に発展し、欧米諸国が軍事的に介入する事態になった。バーレーンでの抗議行動は複雑だ。イスラムの2大派閥を構成するシーア派とスンニ派との歴史的な抗争であり、少数派が多数派を支配するいびつな政治構造の問題であり、王制と民主化運動の衝突でもある。
イエメンのサレハ大統領は、チュニジアとエジプトと似た長期・個人独裁体制だが、弱い中央政権と地方の抗争が根っこにあり、統合した後も残る旧南北イエメンの対立がある。
すべての抗議行動を民主化の運動とは見なせない。
大衆行動に共通する要素とは?
国によって異なる要素がある一方で、共通の要素がある。若者たちは、より自由に発言できること、汚職や腐敗が減ること、政府の意思決定についてより透明性を高めることなどを求めている。抗議行動の発端は、主に内政面での不満だ。若者たちからのアメリカ非難はほとんどなく、今のところイスラム勢力の影も薄い。若者たちの要求は、人間の尊厳や基本的な人権に関係する要求だから、特定の政治思想や宗教の色は薄い。
中東やイスラム世界は、独自の伝統が濃く残る。社会の中で、宗教の持つ意味は重い。それでも若い世代は、インターネットや衛星放送などで世界の動きを知っている。
2001年の9.11同時多発テロの後、アメリカのブッシュ大統領は中東に民主主義を教えようとした。中東の人たちは、アメリカの傲慢さに怒った。アメリカは、中東の若者たちは民主主義を知らないと決めつけた上に、親米政権の多くが民主主義と無縁な独裁国家や王制国家であることを無視したからだ。
中東の人たちの多くは、欧米諸国の中東政策に反発する一方、欧米社会には自分たちが享受できない自由があることを知っている。しかし中東の若者には、欧米の安直なコピーを拒否する強烈な歴史意識とプライドがある。この点で、チュニジアとエジプトでの二つの革命は、誰のまねでもない。彼らが、自分たちの力で出した結果である。
世界は、驚き、アラブの若者を見なおした。チュニジアとエジプトの若者たちは、自尊心を獲得した。欧米に対して屈折した劣等感と優越感を持つ中東の若者たちにとって、この意味は大きい。
民主化の入り口に立つ若者たち
中東の若者たちは、古くてダサい政治体質を拒否し、より自由で透明性のある政治を希求している。中東には民主化とイスラムをバランス良く維持して、経済を発展させつつあるトルコのような国もあるが、トルコはアラブではない。アラブの若者は、アラブの新しい国家を模索している。当面は、試行錯誤が続くだろう。民主化は、中東でも錦の御旗である。誰も、それを否定できないし逆らえない。
しかし、民主化の中身は一つではない。欧米の民主主義は、標準モデルだが普遍的な制度ではない。日本を含むアジア、中東、イスラム圏は、自分に合った民主化を進めればいい。中東の若者は、その入り口にいるのかもしれない。
彼らが結果を出せるか、失敗して古い政治体制が居残るかは、彼らの力量次第だ。