右派・左派の反EU陣営が約41%に
エマニュエル・マクロンにとって無視できない、もう一つ衝撃的な事実がある。それは、第1次投票で欧州連合(EU)離脱を求める勢力の得票率が40%を超えたことだ。EU離脱を求めているのは、右派ポピュリストのマリーヌ・ルペンだけではない。左派ポピュリストのジャン・リュック・メランションも、反EU勢力である。2人の得票率を合わせると、40.88%に達する。第1次投票での有効投票数は、約3606万票。EU創設国の1国であるフランスで、1474万人もの市民がEUに背を向けた事実は、重い。また国民戦線(FN)の得票率が、大統領選挙の第1次投票で初めて20%を超えたことも、フランス人たちを震撼させた。このときにルペンを選んだ有権者数は、約766万人にのぼる。前回、つまり12年の大統領選挙の第1次投票では、ルペンの得票率は17.9%にすぎず、2位のニコラ・サルコジに約10ポイントも引き離されていた。だが今回の第1次投票では、ルペンとマクロンの得票率の差は、2.7ポイントにすぎなかった。ルペンはあと一歩で首位に立つところだった。
FNが決選投票に参加したのは、今回が初めてではない。02年にルペンの父親ジャンマリー・ルペンが16.86%の得票率を記録し、ジャック・シラク元大統領(19.88%)と決選投票に進出した。決選投票ではジャンマリーの得票率は17.79%に留まった。つまり当時に比べると、今回の選挙でマリーヌ・ルペンの得票率は大幅に増えているのだ。
ジャンマリーは、「アウシュビッツのガス室は第2次世界大戦の細部にすぎない」などと公言するネオナチで、裁判所から有罪判決を受けている。このため02年にジャンマリーが第1次投票で第2位になったときには、パリを中心として約100万人の市民が大規模な抗議デモを行った。シラク元大統領は、「ネオナチとテレビで討論するのは、不名誉だ」として決選投票前に予定されていたジャンマリーとのテレビ討論をキャンセルした。
だが今回の選挙では、娘のマリーヌが決選投票に進出しても、フランスで大規模な抗議デモは起こらなかった。テレビ討論も通常通り行われた。つまりフランス社会・政界の中でFNはもはや泡沫政党ではなく、無視できない政治勢力にのし上がったのである。大統領になることには失敗したが、得票率を見ればFNの躍進は明白である。
「極右」のイメージを薄めて中間層に食い込む
なぜルペンの人気は高まったのだろうか。彼女はEU、ユーロ圏からの離脱を求め、現在はシェンゲン協定によって廃止されている国境検査を復活させることを提案していた。フランスに不法に滞在する移民を直ちに国外追放するとともに、犯罪を犯した外国人の滞在権を即時剥奪することも要求していた。合法的な移民数も、毎年1万人に制限するとともに、就職や社会保障では、外国人よりもフランス人を優先する。いわば「フランス・ファースト」の政策である。ただし彼女は、「FNは極右」というイメージを極力薄めようとした。たとえばルペンは党員に対して、外国人をあからさまに差別する発言や、ネオナチのような極端な発言を禁じた。彼女は、父親のジャンマリーがそうした発言を繰り返したので、父親を党から除名したほどである。またルペンは女性や同性愛者の権利保護を強調するとともに、富裕層や大手金融機関を批判することで、共産主義的な姿勢も打ち出し、左派の市民の心をとらえようと試みた。彼女が第1次投票で約21%、決選投票で約34%という高い得票率を得た背景には、ルペンがFNを甘いオブラートに包んで、有権者に受け入れられやすい政党に改造したという事実がある。実際ルペンは、2022年の選挙へ向けて党の名前を変えることも検討している。
フランスでも都市と地方の格差が拡大
さらに、ルペンにとって追い風となったのは、「大都市と地方の格差」、そして「庶民のグローバル化への不信感」だった。アメリカでトランプを大統領に就任させ、イギリスでBREXIT派を勝たせた格差問題は、フランスをも侵食しつつある。第1次投票と決選投票の結果は、マクロンの得票率が大都市で高く、ルペンの得票率が地方の小都市や農村部で高かったことを示している。たとえば決選投票で、マクロンのパリでの得票率は約90%。ルペンは10%しか取れなかった。ロンドン同様に、パリはグローバル化の恩恵を享受している市民が多い。他の大都市でも、マクロンは圧倒的に強かった。これに対し北部のパ・ド・カレー県では、ルペンの得票率が約52%と、マクロン(48%)を上回った。
フランスの日刊紙「ル・モンド」は、第1次投票後の4月27日に、ある地図を掲載した。この地図には、マクロンの得票率がその全国平均(24.01%)を上回った地域と、ルペンの得票率がその全国平均(21.30%)を上回った地域が色分けされている。そこには、パリやリヨン、ストラスブール、ボルドーなどの都市部でマクロンが圧倒的に強く、それ以外の地域でルペンが強いことがくっきり示されている。あたかもルペン支持派が、都市をぐるりと包囲しているかのように見える。
また両候補は、フランスを東西に分断した。マクロンが中部から西部で高い得票率を記録したのに対し、ルペンは北東部と南東部で多くの支持者を集めた。
フランスの地方都市や農村部では、今も産業の空洞化が進行している。17年1月には、アメリカの家電メーカーのワールプール社が、フランス北部のソンム県アミアンにある乾燥機工場を閉鎖し、生産拠点をポーランドに移すと発表した。この工場で働いていた290人の市民が路頭に迷う。ドイツ経済研究所(IW)によると、2015年のフランスの工場労働者の1時間あたりの労働費用は37.47ユーロで、ポーランド(7.69ユーロ)の4.9倍。労働費用の高さが裏目に出た。この地域では2010年以降、タイヤやマットレスなどのメーカー3社が工場を閉鎖しており、2000人近い市民が職を失った。アミアンは、マクロンの出身地。彼は選挙運動期間中にこの町を訪れたときに、労働者から罵倒されたことがある。アミアンだけでなく、フランスの多くの中小都市が産業の空洞化に苦しんでいる。これらの地域には、グローバル化によって貧乏くじを引いたと感じている市民が多い。
ルペン候補は、経済のグローバル化が国内産業を衰退させ、フランス市民の職を奪っていると主張。ルペンの支持者たちは、EUをグローバル化の象徴として敵視している。フランスでは、グローバル化はFNのような右派ポピュリスト政党だけではなく、メランションに代表される左派ポピュリストからも批判されている。反グローバリズムにおいて、右派ポピュリストと左派ポピュリストの目標には共通点がある。
フランスでも首都と地方の格差が広がりつつある。フランス統計局(INSEE)が17年初めに発表した県別失業率比較を見ると、パリの失業率が7.8%と低くなっているのに対し、北部のパ・ド・カレー県や南部のエロー県などでは失業率がフランス全体の失業率(10%)を超えている。特に南部のエロー県やピレネー・オリアンタール県は、北アフリカからの移民とその家族が多く住む地域で、失業や犯罪が大きな問題となっている。ルペンが第1次投票で首位に立った地域は、失業率が高いこれらの県だった。
マクロンは経済を再建できるか
マクロンの抱える課題は、重い。彼はフランス経済の競争力を強化し、失業率を大幅に下げなくてはならない。16年末の段階で、フランスの失業者数は約347万人。隣国ドイツの失業者数(約270万人)を約77万人上回る。欧州連合統計局によると、フランスの17年2月の失業率は10.0%で、EU28カ国の平均(8.0%)、ユーロ加盟国の平均(9.5%)よりも高く、ドイツ(39.%)の2.6倍である。ダモクレスの剣
王座の頭上に、髪一本で吊るされている剣のこと。転じて、繁栄の中にも常に危険があることを言う。シラクサ(シチリア島の都市)の王ディオニュシオスが、王の幸福を讃えた廷臣ダモクレスを王座に座らせ、その頭上に毛髪1本で抜き身の剣をつるすことで、支配者には常に危険が伴うことを悟らせた、というギリシャの故事にちなむ。