日本に8万人の「奴隷」がいる!?
「あー人身売買とか、そういう感じの話? だったら日本は関係ないよね」人身取引と聞いて、そう思う人もいるかもしれない。しかし驚くなかれ、性的搾取や労働搾取を目的とした人身取引は、日本国内でもごく身近なところで行われている。
被害者は日本人だけではない。日本に働きに来ている外国人の中にも、だまされ、自分ではどうにもならない状況で、日々売春を強要されているような実態がある。また、外国人研修生・技能実習生の名目で、製造工場、建築現場、農場などに派遣され、働かされているアジアの若者たちもいる。
外国人技能実習生権利ネットワークなどの調査によれば、彼らのうちにはパスポートを取り上げられ、日常生活を管理され、時給300円程度で過酷な長時間労働を強いられている者も少なくない。
オーストラリアの人権擁護団体ウォークフリー・ファウンデーションは、「日本には現代の奴隷が8万人存在する」との調査報告を2013年に発表した。アメリカ国務省の報告書には、「日本は人身取引根絶のための最低基準を満たさない国」と、13年連続で名指し批判されている。
が、そうしたことを知る日本人は、あまりにも少ない。
「日本は人身取引大国です」
開口一番、藤原志帆子さんはそう指摘する。
2004年に発足したポラリスプロジェクトジャパンに、これまでに寄せられた相談は約3000件。4割が日本人からで、次いで韓国人、フィリピン人、タイ人と続く。
相談内容もさまざまだ。家出少女が援助交際を強要される。恋愛関係を装う男性に、長期にわたって性風俗店で働かされ、莫大な金を巻き上げられる。外国人の場合は、借金を背負わされていたり、ブローカーが絡んでいたり。
いずれも共通するのは、暴力による一方的な支配である。
年間レスキュー件数は25~30件
現在32歳の藤原さんは、いわゆる「援交世代」。1990年代後半、北海道で高校時代を過ごしていた彼女のまわりにも、そんな光景はあったという。「少女の性が商品化され始めた」時代背景も、人身取引に関心を持つきっかけになったのかもしれないが、大きな転機となったのはアメリカでの留学経験だという。「人身取引のことは、大学の授業で知りました。タイのメコン川流域で、買春ツアーのために子どもが売られている、という時事問題が講義で取り上げられて……。売られているのは7、8歳の子どもなんですよ。そういう子どもと性交渉をする。そのツアーには日本人も参加していることを知って、びっくりしました」
そうした経験から、卒業後はアメリカの人身取引撲滅団体ポラリスプロジェクトに在籍して1年間勤務。帰国後、2004年にポラリスプロジェクトジャパンを立ち上げた。
「人身取引被害者とは、簡単に言うと、逃げるっていう選択肢がない状況で働かされている人たちです。もちろん鎖で拘束するわけではない。その代わり『いい仕事があるよ』と誘惑して、知らない街や国に送られたり、脅迫という手も使われます。例えば、破産した家の娘さんに『この仕事をしないと親がどうなるかわからないぞ』と、脅すとか。
家出少女の被害も少なくありません。街で近づいてきたお兄さんに優しくされて、泊めてもらううちにデリヘルの面接に連れて行かれたりします。彼女たちにはDV(ドメスティックバイオレンス)などで家に帰れない事情もあるから、それしか選択肢がない」
しかし、どんなにひどい人身取引が行われていても、被害者本人には自覚がない場合が多いという。藤原さんたちの相談窓口に、直接、連絡をしてくることもほとんどない。
「被害者が日本人のケースで多いのは、お客さんからの連絡です。次いで多いのが同僚の子から。『店に困っている若い子がいる』とか、『あの状況は絶対おかしい』といった相談電話がかかってくるんです。
外国人の場合は、本人からの連絡も多いですね。私たちのセンターでは、日本に働きに来た外国人向けの新聞などに、無料法律相談の広告を出しているので。そのため相談窓口には、英語、韓国語、タガログ語が話せるスタッフもいます」
年間の相談件数は300~400件。そのうち人身取引が疑われるものは50~60件で、実際にレスキューを行うケースは年25~30件ほどだという。
公費は1円も出ない中での活動
では、人身取引からのレスキューはどのような形で行われるのか。「まず、本人に事情を聞きます。たいてい洗脳されてしまっていて『私はこれでいいんです。働いて借金を返さないと、どうなるかわからないから』と、言うんです。だから、そういうのはおかしい、今の状況から抜け出せるということに、まず気づいてもらうことから始めます」
その時点で、すぐに「逃げる」と決心できる人もいれば、覚悟を決めるまでに数カ月かかる人もいるそうだ。
決心が固まったら、本人を店や監禁先から連れ出して、「安全で安心できる場所」へ移送することになる。具体的には、婦人相談所や児童相談所、民間のシェルターに預けたり、親元に帰らせる、帰国させることもあるという。
「私たち自身はシェルターの運営をしていません。なので、彼女たちを安全な場所までつなぐことが、主な役目となります。時には警察に介入してもらうこともあります。でも警察を嫌がる人や、怖がる人もいるので、その場合はメンバーだけで動きます」
逃げる日を決め、本人には契約書や借用書など人身取引を立証するための証拠と、持てるだけの荷物を準備したら、管理する人間に見つからないよう、待ち合わせ場所にタクシーやレンタカーを回してピックアップする。緊迫の瞬間だ。
そこから、被害を訴えるため警察に行くこともあれば、取られたパスポートを再発行してもらうため、大使館に行くこともある。
「そのまま病院に運び込まれることになった女性もいました。売春を繰り返すうちに複数の性感染症にかかり、骨盤が炎症を起こして、立ち上がることさえできない状態だったんです。その女性は、逃げる前日まで売春をさせられていたんですよ」
こうした藤原さんたちの活動は、すべて企業や人権団体からの寄付で賄われている。公費は1円も出ていない。
性風俗業にいる女性への偏見
レスキューしても、その先が問題だ。「公的な支援は一応あるんですが、それは虐待やDV被害者に対する支援、ホームレス支援などの中に入れこむ形になります。
被害者が17歳以下なら、児童相談所が対応します。ですが首都圏の場合、児童相談所は虐待から避難させてきた小さな子どもたちで手一杯です。14~15歳の少女は高年齢児で、はた目には非行少女なので、支援からあぶれてしまうこともあるんです。
成人女性の場合は、売春防止法(1957年施行)によって設置された婦人保護施設が受け入れ先になります。でも建物は老朽化していて、入居者が心身を休めるのにいちばん最適な場所とは言いがたいのが現状です。しかもこの施設には、知的障害者やホームレス経験者など、さまざまな困難を抱えた10~60代までの女性が保護されています。