誌面を彩るのは、しかし、「自分の力で生きようとする」とはいえキャバクラ勤務で平均月収96万円の、「かわいい」とはいえキラキラ、ハデハデのファッションに身を包んだ、「夜の女」たちである。
夜の世界から溢れだす
かつて彼女らは、ネオン輝く歓楽街にのみ生息していた。夜な夜な訪れる企業戦士たちに徹底的に「女」として記号化され消費されることで、彼らの男性性の維持強化の役割を担っていた。(出典1)昼と夜の境界―「聖女」と「娼婦」という二つの女性役割の境界―は、きれいに引かれ守られていた。その夜の蝶たちが、今やagehaとかアゲ嬢とか呼ばれ、どこにでも姿を見せる。「小悪魔ageha」の読者は昼の仕事と夜の仕事の女性比率が半々だというし、「ふつうの女の子」であるはずのOLや学生のなかにキャバ嬢っぽいファッションやメークを見つけることも難しくない。得意先でド派手なネイルにお茶を出されたり、電車で化粧をしている向かいの席の女の子がみるみるうちにデカ目になっていくのを見たりする。娘は下着のような格好で帰ってくるし、妻はデコ電を操作する。さらに「小悪魔ageha」は東京だけを描かず、ネット販売を通じて全国にも手を伸ばす。agehaたちは方言まるだしで地元の話をし、津々浦々の地方都市を闊歩(かっぽ)し、聖域だったはずの日常にますます侵食する。
注がれるまなざし
センスがない、品がないと、まゆをひそめる向きもあるだろう。しかしこの現象は現在の社会経済状況の一つの帰結だ、という声もある。景気は低迷したままで雇用は不安定化の一途にある。そのとき家柄や学歴のない女の子たちにとって、キャバ嬢になることはより高い経済的な階層を得るための手段の一つだ。「だから若い女性の20%がキャバクラ嬢になりたがる」(出典2)との物言いは、すでにひとり歩きを始めている。あるいは、現代若者論の文脈では、そうした不安定な時代に「キラキラ」を通じた相互承認が行われているなどとも言われる。大人にしてみればとうてい理解のできないものに愛着を示す彼女らは、「コギャル」や「ガングロ」の最新形態で、それはつまり少女期のはかない抵抗に過ぎないということにもなるだろう。
「ちょうちょたち」の語り
いっぽうひとたびページをめくれば、「小悪魔ageha」のカルト的な熱気もまた見逃しがたい。詰めこみすぎを超えて詰めこまれた誌面には、企業タイアップなしの読者モデルたちによる商品紹介があり、模倣と崇拝に満ちた読者投稿欄があり、agehaたち自身の語りが綿々と続く。そこには往々にして、家庭崩壊、いじめ、暴行、拒食症といった凄まじいトラウマの語りがあり、「優等生」から「ヤンキー」「シンママ(シングルマザー)」まで、様ざまなアイデンティティーの語りがある。それらが「私はちょうちょ」という肯定感のもとに包括されていくそのプロットは、まさに宗教的なトーンを帯びる。そこに共感をおぼえ救済を求めるのは、何もキャバ嬢たちだけではないだろう。表面上は違っても等しくきゅうくつな毎日を生きる女の子たちが、その陰影をたたえたキラキラの世界に惹(ひ)かれたとしても不思議ではない。閉じた輪のなかにあるべき意味や価値が、その外にいるはずの者たちによって消費され、拡散していく。
定義しない/できない/させない
しかし同時にagehaは、固定的なアイデンティティーでもない。「小悪魔ageha」は内部の微細な差異によって「フェロモン系」「ロリ系」と細分化を行うかとおもえば、「何でも型にはめたがるのは大人だけ!! 今よりかわいくなるために努力してるコはみんな、age嬢なんです」と断言する。誌面ではモデルたちが変身を繰り返し、AYUになったかとおもえばエビちゃんにもなり、青文字系(原宿カジュアル系ファッション)に扮装して合コンしたりもする。それぞれの「心の闇/病み」を語った直後に「アイメーク秘密公開」が始まり、「コンプレックス解消」で美容テクニックを披露したかとおもうと「コンプレックスも好きになろうなんてキレイごと、あたしは一生自分の顔が嫌い」と言い放つ。さらには、彼女らの象徴と見なされている「盛り髪」でさえ、「外敵から身を守るための武装だった」と再定義してみせる。何がagehaか、誰がagehaか、境界線を引こうとする「大人」たちを笑いとばすように。
ふわふわと、ふらふらと
彼女らが着飾れば着飾るほど、冗舌に語れば語るほど、agehaのことはわからなくなる。自立しているのか男に依存しているのか、古典的な女性性を超越しているのかとらわれているのか、不全なのか完全なのか。華々しいとともに毒々しい、あっけらかんとしながらしんどい、彼女たちの姿がうかびあがる。捕らえようとすればすぐその指先をすり抜けていく、彼女らは「ちょうちょ」に違いない。しかし同時にそのうちに、重く苦いものを抱えてもいる。その羽の下の姿は、「ふつうの女の子」たちとどれだけ違っているだろう。ふわふわと、ふらふらと、女の子たちが描くでたらめな軌跡に、そのまき散らす鱗粉に、大人たちはめまいを起こさずにはいられない。
出典1
Anne Allison. 1994. Nightwork: Sexuality, Pleasure, and Corporate Masculinity in a Tokyo Hostess Club. Chicago: University of Chicago Press.
出典2
三浦展『女はなぜキャバクラ嬢になりたいのか? 「承認されたい自分」の時代』光文社新書(2008年)