華麗な短歌を驚異的なスピードで量産し、短歌に興味のなかった若い世代の熱い支持を得る謎の美少女歌人・星野しずる。彼女の魅力の秘密を、「生みの親」が詳細に解説する。
年間1万首以上を発表する覆面歌人の正体
星野しずるの暴走が止まらない。
星野しずるはツイッターなどインターネットを中心に短歌を発表している若手女流歌人で、2008年のデビュー以来、驚異的なスピードで作品を発表し続けている。
これまで彼女がツイッターで発表した短歌は現時点(12年9月)で約4万2500首。万葉以来1200年超の歴史を誇る短歌の世界においても、個人の発表数として既におそらく史上最多である。彼女のツイッター開始日から計算すれば一日平均40首、年間1万首を優に超えている。
もちろん単に多作というだけでなく、詩的飛躍を多用した華麗な作風も彼女の魅力である。
よこしまなあなた自身にあこがれるはるかに遠い歌のどこかで
はじめての図形のそばで透明な魔法の街を見ている恐怖
永遠に向かって夏の人々を拾い上げれば僕だけの夢
真夜中の真空管を集めたらまだら模様の群れになったら
少年をたどってゆけば明け方の楽器の猫の中に絶望
その言語感覚はしばしば「人間業とは思えない」と評される。09年には、「かんたん短歌」で知られ、多くの若手歌人を発掘した歌人枡野浩一が選ぶ「第7回枡野浩一短歌賞」も受賞し、その活躍はYahoo! ニュースや日本経済新聞にも紹介された。12年7月には自身初の電子歌集「ありふれたらせんの夢(あらら文庫、デザイン・山入端祥太)」も発表され、好評を博している。
……と、ここまでまことしやかに書いてはみたが、一つ言い忘れていたことがある。
星野しずるという人間は存在しない。
いや、彼女は確かに現在も精力的に短歌を発表しており、評価を受けたのも事実だ。だが、その作品をつくりだした「人間」はどこにもいない。
星野しずるは「短歌自動生成スクリプト」、つまり、コンピューター上に存在するプログラムなのだ。
「短歌界の初音ミク」とも称されるバーチャル歌人、それが星野しずるである。
http://www17.atpages.jp/sasakiarara/
このサイトにアクセスして「次の短歌を生成」ボタンをクリックし続ければ、「星野しずる」があなたのためだけに、何首でも(お望みなら何千首でも)短歌をつくってくれる。
単純なアルゴリズムに隠された「詩情」の謎
星野しずるの誕生は08年。元々は「いたずらに詩的飛躍に頼っただけの作品をつくる短歌初心者を批判する」という目的で制作された。
当初はごく限られた短歌愛好者の間で楽しまれていただけだったが、ツイッターbot(ツイッターに自動投稿するウェブスクリプト)として投稿を始めた前後から注目を集めはじめた。美少女キャラクターとして擬人化がなされると、当初の目的を離れて「バーチャル短歌アイドル」として人気となった。
その短歌自動生成アルゴリズムは、極めてシンプルである。5-7-5-7-7のリズムでデータを出力するための工夫はされているものの、基本的には単語データ(語彙〈ごい〉数550)を指示に従ってランダムに並べるだけだ。
しかし、たったそれだけで、前掲のような詩情あふれる、時に読者をはっとさせる魅力的な短歌を生成することができる。それこそが星野しずるの魅力であり、謎である。
その謎を知るために、例として、しずるに短歌を一首つくってもらおう。
いま筆者がボタンを押したところ、こんな一首が出てきた。
たましいを待っている僕 ありふれた嘘(うそ)のどこかに朝の絶望
ふむ。おもしろい短歌に見える。ちょっと解釈してみよう。
「たましいを待っている」というのはなんだろう。親しい家族を失って呆然としている、ということだろうか。「朝」とあるからおそらく明け方だろう。家族の死に直面して眠れず、夜を明かしたのかもしれない。「ありふれた嘘」「絶望」というのは、葬儀の席で口先だけのお悔やみを言われた怒りがにじんでいるようにも感じる。そうか、これはお通夜の次の日の朝の苦しみを歌った歌だ! なんと静謐(せいひつ)な歌だろう!
……もちろん、星野しずるはそんな「作意」を持ってはいない。
彼女は、20種ほどある構文レシピの中から、
「4音の名詞+6音の述部+2音の名詞+(空白)+5音の修飾部+2音の名詞+5音の述部+3音の修飾部+4音の名詞」
という構文を無作為に選び、それぞれに「たましい」「を待っている」「僕」「(空白)」「ありふれた」「嘘」「のどこかに」「朝の」「絶望」という単語データをランダムで選んできて並べただけである。つまり「たましい」や「絶望」の代わりに、彼女は「4音の名詞」という配列内のデータ(約50語)から、別の単語を選んだ可能性もあったということだ。「恋人」でも「かなしみ」でも「運命」でも「結晶」でも。
では、たとえば「恋人」と「結晶」を拾ってきていたとしたらどうなったのか。
恋人を待っている僕 ありふれた嘘のどこかに朝の結晶
いかがだろう。突然「透明感のある恋の歌」へ変わったと感じたのではないだろうか。
「解釈しようとする力」がふくらませる詩の楽しさ
こうして考えると、星野しずるが「歌人」として存在感を放つ理由は、我々の持つ「読みの力」に負うところが大きいことがわかる。
真っ白な流星群を調べれば笑う挫折を守りたい僕
という歌において、我々は勝手に「真っ白な流星群」という言葉の持つイメージを理解してしまうし、「笑う挫折」という少々無理のある言葉を読んだ時さえ、脳はそれを強引に自然であるよう、意味があるものとして解釈しようとする。
これはある種の錯視とよく似ている。たとえば「カニッツァの三角形」という錯視図形は、3つの頂点が描かれているだけであるにもかかわらず、我々の脳が勝手に「意味のある線」を補完し、自然な三角形を見いだしてしまう。
星野しずるの場合も同様だ。我々は単語という「頂点」を、できるだけ自然に意味の通る「線」で結ぼうとして、星野しずるの歌に存在しないはずの「作意」を見いだしてしまっているのだ。しずるの語彙はそんな「言葉の錯視」が頻繁に起きるよう選ばれている。
短歌や詩を味わう楽しみは、未知の言葉のつながりを知るという側面が大きい。それは脳の「解釈しようとする本能」を活性化させ、新しい言語的刺激を感じとる快楽である。星野しずるは、プリミティブな形でそうした「詩を味わう楽しさ」を生成する装置であるともいえるだろう。
ところで、この原稿を書いているまさにその瞬間に、はこだて未来大学で「きまぐれ人工知能プロジェクト 作家ですのよ」の計画が発表された。これはいわば「ショートショート小説自動生成プロジェクト」で、故・星新一の遺した千を超えるショートショートの各要素を解析し、最終的に星新一並みの質の作品を自動生成しようというものだ。
「星野しずる」はシンプルなシステムで、どれほど無作為な単語の並びでも潜在的な「読みの力」が言葉の間の距離を補完し、自発的に文学的体験を生み出しうるということを示した。