大ブームを巻き起こした漫画『鬼滅の刃』を杉田俊介さんが読み解く連作。最終回は、「弱さ」と組織論について考えます。
日々の流行の流れは速いものの、現在も映画『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』の上映は続いており(国内映画では前人未到の興行収入400億円という記録に届くかどうかに注目が集まっています)、2021年内にテレビシリーズの続編「遊郭編」がはじまることも発表されました。コミックスの売り上げも累計1億5000万部(電子書籍を含む、2021年2月15日時点)という驚異的な記録に達しています。まだまだ『鬼滅の刃』の人気は続きそうです。
こうした状況の中で、『鬼滅の刃』についてのレビュー、評論、感想、批評などもひとまず出尽くしたような感もあります。しかし、私としてはもう少し考えておきたいことがありました。それは「弱さ」の問題です。
弱さについての問いは、『鬼滅の刃』の大切な骨格の一つになっています。たとえば第1話の段階で、冨岡義勇〈とみおか ぎゆう〉は竈門炭治郎〈かまど たんじろう〉をこう叱咤しました。「弱者には何の権利も選択肢もない/悉く力で強者にねじ伏せられるのみ!!」。あるいは戦闘好きの嘴平伊之助(はしびら いのすけ)が相手を罵倒するときに使う「弱味噌」という造語も印象的です。
煉獄杏寿郎〈れんごく きょうじゅろう〉と猗窩座〈あかざ〉の対決でも、弱さについての対話がなされています。猗窩座は初対面でいきなり「弱い人間が大嫌いだ」「弱者を見ると虫唾が走る」と主張します(第63話)。猗窩座にとっての強さとは、肉体が老いないこと、戦闘能力が高いこと、無限に強くなっていくこと、等を意味します。
これに対し煉獄の価値基準では、人間の弱さや傷つきうることは、有意味なものとされます。「老いることも死ぬことも人間という儚い生き物の美しさだ/老いるからこそ死ぬからこそ堪らなく愛おしく尊いのだ/強さというものは肉体に対してのみ使う言葉ではない」(第63話)と、煉獄は言います。
実際に煉獄と猗窩座の戦闘では、鬼である猗窩座の傷はすぐに回復し再生してしまうのに対し、煉獄の傷はもう取り返しがつきません。潰れた左目、砕けた肋骨、傷ついた内臓……。人間と鬼の非対称さが残酷なまでの対比で描かれています。それでも煉獄は、彼自身がまさに人間の弱さと儚さを引き受けながら、「俺は俺の責務を全うする!!/ここにいる者は誰も死なせない!!」(第64話)という覚悟を決めるのです。
ただしこの段階では、『鬼滅の刃』という作品における弱さに対する考え方には、まだ微妙な揺らぎがありました。若くして病気で亡くなった煉獄の母親は、次のように命じていました。「なぜ自分が人よりも強く生まれたのかわかりますか/弱き人を助けるためです/生まれついて人よりも多くの才に恵まれた者は/その力を世のため人のために使わねばなりません/(略)弱き人を助けることは強く生まれた者の責務です」(同)。
母が煉獄へと伝えた「強さ」の価値基準は、「強者」の「責務」であり、「使命」「義務」とされます。いわゆるノブレス・オブリージュ(フランス語で、高貴な者に強制される社会的義務のこと)です。ここでは「強さ」とは生まれつきの才能であり、人間には生まれながらに「強者」と「弱者」の違いが歴然とある、とされます。
煉獄の父親は、妻が病死した後は生きる気力が失せ、煉獄とその弟への育児放棄あるいは虐待的な言動を見せるようになります。しかしその一方では、母親が幼い煉獄に対して命令した強者としての倫理観、義務感も、その後の煉獄の人生を呪縛し、「強者」としての滅私奉公を強いるような、過酷なものであった点は忘れるべきではないかもしれません。
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この場合重要なのは、『鬼滅の刃』の物語の進展の中で、煉獄が自らの死をもって示した生き様と価値観を、炭治郎がどのような形で受け止め、そこに何を付け加えたのか、という点です。
たとえば炭治郎たちの同期である不死川玄弥〈しなずがわ げんや〉は、上弦の鬼との戦闘の中で自分の弱さ、無力さを痛感し、「なんで俺はこんなに弱いんだ/悔しい悔しい/弱いことが悔しい」(第172話)と感じますが、そのとき戦いの前に炭治郎から言われた「一番弱い人が一番可能性を持ってるんだよ」というアドバイスを思い出します。
どんなに強い敵でも、こちらを警戒できる絶対数は決まっている。敵は強い人を警戒するが、弱い相手には警戒の壁が薄くなる。「だからその弱い人が予想外の動きで壁を打ち破れたら一気に風向きが変わる/勝利への活路が開く」(同)。『鬼滅の刃』の物語の中では、このように、煉獄の死後にも、弱さに対する人々の考え方が変化し、段々と熟成していきます。
そして炭治郎は、最終決戦における煉獄を殺した猗窩座との再戦の中で、猗窩座と次のような会話を交わします(第148話)。
煉獄杏寿郎
鬼殺隊の「柱」(最高位の9人の剣士をこう呼ぶ)の一人。
上弦
人喰い鬼の首領・鬼舞辻無惨によって選ばれた鬼たちの最精鋭の「十二鬼月」の階級。「上弦」と「下弦」に分かれ、それぞれに、壱、弐、参、肆(し)、伍、陸(ろく)という順番になっている。
お館様
鬼殺隊を取りまとめる当主、産屋敷耀哉(うぶやしき かがや)のこと。
柱
鬼殺隊最高位の9人の剣士をこう呼ぶ。
風柱
鬼殺隊の最高位「柱」のなかで、「風の呼吸」を使うため、こう呼ぶ。