鳩山由紀夫政権時に農林水産大臣だった山田正彦議員を中心に農業関係議員が多数集結し、農業協同組合や農業関係者なども永田町に集結して反対の意思表示を明確にした。この時から農業関係議員がTPP反対運動の中心となった。実はこのことが最後まで日本の判断と外交を誤らせることにつながったが、当時はそんなことは想像もできなかった。
TPPを「自由貿易協定」と誤解
自由貿易拡大という古典的テーマなら、それに表立って反対する者は少ない。当然、関税削減が主たる議論の対象である。ところが、実はTPPはアメリカの構想では、そもそも自由貿易協定(FTA)ではない。実態は資本(投資)の自由化と流通の自由化である。その目的は、アメリカ企業が有利な形で海外市場に進出し、アメリカ製品を有利な形で流通させることにある。そのため、最大の課題は参加国の非関税障壁、より正確に言えば、各国の社会制度をアメリカのもくろみどおりに改変させられるかどうかであった。
ここにTPPの神髄があることは、アメリカは当初から公言している。前述したサプライチェーンとは、原料調達から製造、市場化そして最終消費者への配送までの流れを多数の企業をつなげて最も効率的に管理することであり、バリューチェーンとは、さまざまなプロセスで生み出される価値(バリュー)を最終的に最大化することを目的としている。要するに、その全体システムを管理する多国籍企業は、最終結果において利益が最大化されれば、その利益をどのプロセスであげてもよい。現実にこのようなシステムはすでに展開されている。インターネット通販のアマゾンでは、書籍などから始まった物販はすべての商品・サービスに及び、将来的にはカー・アマゾン(車もディーラーからではなく、通販で世界各地から購入)も予定されるという。
すでに一部では始まっているが、たとえば、ある症状に効く特効薬を購入するとしよう。現状では、アメリカの新薬が日本の厚生労働省で認可され、輸入され、長い流通過程を経て入手するには何年もかかり、また流通コストもかかる。それをもし、日本の保険医療制度や薬価審議会や税関やスーパーや薬剤師も関係なく、アメリカの本社に直接電子メールで発注することができれば、翌日にはアメリカからDHLで送られた新薬が玄関口に届けられることになる。その新薬は目が飛び出るほど高価だ。しかし、「何年も待たされたり、無駄なコストを払わずに、ほしい人の手にすぐ新薬が届く便益を考えれば、安いものでしょう?」、これがTPPが求める国際貿易システムなのだ。
この問題は日本社会にすさまじい調整コストをもたらす。医療制度だけではない。たとえば、薬剤師が不要だとなれば、全国の薬科大学はどうなるのであろうか? しかし、このサプライチェーン、バリューチェーン問題、すなわち流通自由化=制度改変の問題は、アメリカが最初から主張している中心課題であり、筆者はTPP問題の当初から講演のたびに説明している。しかし、理解できないのか、関心がないのか、会場からは質問すら出てこなかった。
安倍晋三政権誕生とともに、日本政府はTPPをアベノミクスの中核、成長戦略の一環に位置付けたが、ベトナムなど輸出にかける発展途上国は別として、日本にとっては成長戦略ではありえない。すでに生産力の7割を海外拠点に移転している大企業にとって、TPPは輸出効果を生むものではなく、一方、中小企業にとってもアメリカ産品の流入により販路を失う負の効果の方が深刻であった。
TPPを農業問題と誤解・曲解した不幸
TPPを農業問題と曲解させた要素は、一つには過去の巨大自由貿易交渉、すなわちGATTウルグアイラウンドの記憶であろう。しかし、もう一つの局面は、政治側の農民票をめぐる戦略である。農水族といわれる議員は与野党を問わず、このTPPを材料に自分に農民票が集まるような言動にでた。
それは(1)交渉に反対してそれを葬るポーズ、(2)政府に圧力をかけ関税引き下げを緩和させようとするポーズ、(3)農業への影響は不可避なので、予算を通じて対策費・補助金などの獲得に全力を挙げるというポーズである。
TPPの主要素を農業と考え、食の安全に関係する生活協同組合や消費者グループもTPP反対に立ち上がった。同様に、医療関係者も日本の医療システムや国民皆保険制度を守るために声を上げ始めた。しかし、TPPを主に農業問題と狭く定義化したために、一般国民にはその脅威の大きさも広がりも実感できず、反対運動も関連業界団体が中心となった。TPP構想の中核である知財、技術をめぐる競争、水道・地下鉄・通信などインフラの民営化などが議論されることは日本ではほとんどなかった。
不明瞭な賛成の根拠
TPPは日本にとってどのような効果があるのか、政府も賛成派の産業界も明確な根拠を示すことができなかった。2010年末にTPP推進組織である内閣府、農業への打撃を危惧(きぐ)する農水省、輸出振興を期待する経済産業省がそれぞれ、TPPが日本に及ぼす影響評価の試算を出したが、三者それぞれの思惑と、異なった前提条件で計算を組み立てたため評価がバラバラで、ほとんど意味のある試算にはならなかった。
TPPが実施されれば、日本のお家芸ともいうべき、原材料を海外から安価調達して、労働賃金の安い日本で生産し、海外に輸出するという、明治以来の「日本型産業モデル」が通用しなくなるのであるが、不思議なことに、産業界からはTPP反対の声が一切聞こえない。すでに生産能力のほとんどを海外に移転している大企業にとっては、輸出ではなく、TPPによって規制緩和の進んだ日本市場に輸入することによって利益を得る方が得策と判断しているのかもしれない。
要するに、TPP賛成派も反対派も、TPPの実態を理解しないまま、自己の狭い視野の中で発言し行動していたのである。
TPPで自滅する日本型産業社会 (2)(前編)へ続く。(9月30日リリース)