森下 サウンドバイト(抜粋した短い言葉)は世界を動かしますからね。日本の立場はサウンドバイトを出すには、適していないのは確かです。何を説明するにしても、データを元に、どうしても長い時間をかけて話さないといけないという弱みが日本にはあります。
オーストラリアのアデレードで開かれた2000年のIWCのときには、日本も現地の広告代理店を雇ったことがありました。ただ、それにもお金がかかります。また、そのときの広告代理店が反捕鯨側に脅されて、他でクライアントを失ったりしたのです。それで、会議の終わりまでは仕事をしていましたが、それ以降はできないということになりました。
象徴としての捕鯨問題
佐々木 問題は、結局誰のための捕鯨なのかということですね。私も以前は、海外からこれほど批判されていて、日本人の多くはクジラをもう食べないのに、本当に捕鯨を続ける意味はあるのかと思うこともありました。でも和歌山県の太地町(たいじちょう)で長年取材してみて、捕鯨は単なる経済活動とか食の問題ではないとわかりました。太地町のように捕鯨を400年も続けてきた土地の人にとっては、アイデンティティだし、町の誇りなんですよね。「捕鯨をやめて違う仕事をやりなさい」とか、「日本は豊かなんだからクジラじゃなくてほかに食べるものがあるでしょう」などと外国の活動家は言うわけですが、これは人間の尊厳の問題なんだということに気がつきました。
森下 捕鯨をやめろというのは、アイデンティティを放棄しろと言っていることになるわけですからね。
佐々木 そうなんです。あとIWC脱退の件もそうですが、情報の発信地の問題もあります。マスコミの情報発信は、ほとんどが東京からです。だから東京の人のビジョンが日本人のビジョンになってしまう。東京の人、特に若い人はどちらかというとグローバルに目が向いているから「俺もクジラ食べないし、もうやめてもいいじゃないか」となるわけです。先日、長崎と福岡へ行ってきましたが、日常的にクジラを食べる人がまだたくさんいました。日本国内でも、特に西の方へ行くとクジラに親しんでいる人が多いわけです。食べる人が少ないし、捕鯨している地域はもうわずかしか残っていないから、もうやめてもよいというのも違うのかなと思います。
森下 東京以外から見た捕鯨問題、あるいは東京以外の自治体が何を考えているかというのは、大事なポイントだと思います。国際的な議論の中に地方自治体が入ってくるということに違和感を覚える人がいるかもしれませんが、捕鯨は地方とは切り離せない国際問題であるという特徴があります。だから日本政府や自民党の問題だけで片づけようとすると、見落とすものがありますね。
佐々木 アメリカとかロシアとかデンマークは、自国内で抱える「先住民生存捕鯨」をしている人たちの生活と権利と、長く続いてきた慣習を守るのが政府の義務であると主張するわけです。それならば、日本の太地町のような町の捕鯨も、それらと変わらないんじゃないかなと思います。
森下 反捕鯨の立場であっても、先住民捕鯨には自分たちは反対しないと言っている国やNGOはたくさんいます。彼らがそう考える根底には、「先住民は遅れた野蛮な人たちでほかに食べるものがないから特別に許してやる」というメンタリティがあります。
一方、日本に対しては、鯨肉がなくなっても困らないし、生存のためではないじゃないかという話になるわけです。「日本人は野蛮じゃないはずだろう。だから捕鯨はやめるべきだ」という反捕鯨側の意識が見え隠れしている。
佐々木 捕鯨やイルカ漁の話になると、必ず「野蛮」という言葉がくっついてきます。その背景には、「動物の福祉」や「動物の権利」という、動物に対する残虐な扱いを禁じる考え方が近年欧米で広まっていることがあると思います。そうなると、感情と主観をベースにした倫理的な問題となり、科学では議論ができなくなってしまいますよね。
森下 それは、クジラやゾウ、トラなどの大型動物を巡る、いわゆる「カリスマ動物」の問題でもありますね。「カリスマ動物」は、マーケティングなどを元にして、意図的に作り上げることができます。例えば、少年とシャチの友情を描いた『フリー・ウィリー』という映画が1993年に公開されました。あの映画以前は、シャチというのはとても怖い生き物というイメージでしたが、映画で商品化され、成功したことによって、イメージが全く変わってしまった。
またイギリスの小学生に「ライオンやトラ、ゾウはどういうイメージか」と聞いたら、「きれい」「かわいい」という言葉が出てきます。一方、同じ質問をアフリカのタンザニアの子どもに聞いたら「おそろしい」「近づくべきじゃない」という言葉が返ってきます。だから、国が変わって住んでいる状況が変われば、動物に対するイメージは全然違うわけです。
佐々木 結局、西側世界の動物観というか、それが押しつけられるかたちになっているわけですよね。
森下 彼らは自分の価値観を押しつけているという意識さえないかもしれません。
佐々木 映画『おクジラさま』の中で、シー・シェパードのアメリカ人活動家が、太地町のような日本の田舎町にズカズカと乗り込んで行って漁師の目の前にカメラを突きつけて、「恥を知れ」と叫ぶというシーンがあります。アメリカでこの映画を上映したとき、「クジラやイルカは大事だし、殺してほしくない」という気持ちは変わらないけれども、「アメリカ人にこんなことを言う権利はない」と反省したという人もいました。アメリカ人も、情報さえ十分にあれば公平に考えてくれる、ということがよくわかりました。
私は捕鯨問題で対立する構図があるとしたら「日本対欧米の反捕鯨国」ではなくて、「グローバル対ローカル」の価値観の衝突ではないかと、映画や書籍『おクジラさま』の中で伝えてきました。