沖縄に赴任したばかりのアメリカ総領事、スティーブスは海兵隊の移転によって「沖縄問題は解決不能となる」と危惧した。スティーブスは在日米大使館のアリソン大使を通して、アメリカ国務省(ワシントン)に海兵隊沖縄移駐を中止するよう訴える書簡を計7通打電している。
「国防長官がなぜ海兵隊の沖縄移駐を決断したのか、誰にも分からない。(中略)彼ら(沖縄現地の軍部)は私の見解に賛同している」。当時、沖縄で基地を保有していた陸軍、空軍とも海兵隊の沖縄移駐に反対していた。海兵隊ですら沖縄移転に異を唱えていることを報告している。
スティーブスは、新たな土地強制接収で住居を失う世帯数を1200世帯に上ると試算し、「人々は引っ越さなければならないが、どこへ移るのかは未決定」と窮状を訴えた。
スティーブス書簡で注目すべきは、軍部は海兵隊の沖縄移駐に反対だったという記述だ。ワシントンから視察で沖縄を訪れた陸軍次官さえも、海兵隊の沖縄移駐に反対だったとスティーブスは書いている。海兵隊が沖縄を拠点とする軍事的な理由はなかったということだ。
スティーブスの予言は正しかった。あれから半世紀を超え、沖縄の基地問題は海兵隊が使う普天間飛行場の移転問題で混迷が続く。
完結した不可視化
知り合いのメディア関係者はこう嘆いた。「沖縄を取り上げた雑誌は売り上げが伸びない。テレビの番組宣伝で『沖縄米軍基地』『普天間問題』という文字があると視聴率が下がる」
日本人にとって沖縄基地問題は目を背けてしまうテーマになったのだろう。騒音、事件事故など米軍基地の被害報道が主流となり、沖縄の人々がいつも怒っている様子が本土の視聴者にとっては不快なものなのだろうか。沖縄の基地問題について中身の分析がほとんどなく、多くが被害報道に偏ってしまっている。
沖縄に存在する米軍基地の7割が海兵隊基地だ。日本は「ここに幸あり」が流行った56年に海兵隊を沖縄に押し付け、経済成長と安寧に浸った。安全は空気のように与えられるものになってしまった。尖閣諸島が中国に奪われても沖縄の米軍が出動し、奪還してくれるはずだ、というシナリオを信じて疑わない。
辺野古の埋め立てに反対する住民らに対し、大きな日章旗をなびかせながら大音量のスピーカーで街宣車ががなりたてる。
「お前らー、アメリカ軍が日本を守ってくれているんだ。そんなこともわからんのかぁ」。思わず吹き出しそうになる光景だ。
自国は自分で守る、という気概くらい見せて欲しいものだ。“不毛”と言われた戦後の安保論争が産み出した悲劇(喜劇)だろう。
いまや日本人が率先して、「銃剣とブルドーザー」のような埋め立てを、辺野古の美しい海で強行しようとする。米軍駐留のためなら沖縄の民意など取るに足らない、と考えるように導く米政府の“誘導”は完全に成功した。
海兵隊移転で沖縄住民が土地を奪われていたころ、芦田均(自由民主党外交調査会長)はこう語った。
「沖縄は終戦直後の情勢からみると生活は著しく改善された。かつては麻袋をまとい、素足で歩いていたものが、いまでは洋服と革靴の生活に直った。東京政府の手ではこれだけの復興はむずかしかっただろう。農耕地を失った住民のほかは生活は安定している」
当時の首相、鳩山一郎もこう発言した。「米国がどこかに土地を提供して土地を取られた住民にやるように骨を折ってくれれば一番いいと思う」。
戦争で本土防衛の防波堤となり玉砕した沖縄。日本独立となったサンフランシスコ講和条約によって本土から分離され、50年代には本土から追い出された海兵隊の基地を確保するために、多くの人が家財産を奪われた。そして、いまも日本は海を奪おうとする。沖縄にとっての「脅威」は常に北からやってくる。