少なくとも、公共のお金である税金の扱い方として、納税者からの精査に耐えうるものではない。
加計、森友、NHK、水道民営化、種子法……続々と進む「公共の解体と私物化」
ここから透けて見えるのは、安倍政権下で一貫して加速してきた「公共の解体と私物化」というベクトルの存在である。
たとえば森友学園事件では、国有地という公共の財産=みんなのものを、安倍昭恵首相夫人と懇意にしていた森友学園に対して、8億円以上もの値引きをして払い下げたという疑いが濃厚だ。要は安倍夫妻が「お友達」のために国有地を私物化したという疑惑が持たれている。
加計学園問題では、50年以上どこの大学にも認められていなかった「獣医学部の新設」が、安倍首相の長年の友・加計孝太郎理事長への特別の便宜として、加計学園に認められたという疑惑がある。これも事実だとすれば、大学行政という公共のプロセスやリソースの私物化である。
ついでに森友問題では、財務省理財局による決裁文書改竄(かいざん)問題も発生した。財務省が国有地払い下げの経緯を記した文書を国会に提出した際、首相や昭恵夫人の関与が疑われかねない記述を削除していた問題である。これは財務省という、本来ならば「みんなのため」に仕事をすべき公僕の集団が、首相夫妻の利益のためだけに不正を働いていたことを示している。つまり財務省すらも、首相によって私物化されていたと言ってよいだろう。
この文脈で言えば、公共放送であるNHKの私物化も忘れてはならない。第二次安倍政権が誕生して間もなく、安倍内閣はNHKの経営委員会に百田尚樹氏や長谷川三千子氏ら首相に近い人物を4人も一気に送り込んだ。すると経営委員会は、NHKの会長に籾井勝人氏を選んだ。「政府が右と言うものを左と言うわけにはいかない」と発言し、言論界から厳しく批判された人物である。以来、NHKの報道から政権に批判的な論調が激減し、「みなさまのNHK」ならぬ「安倍さまのNHK」のようになってしまっていることは、多くの人が認めるところであろう。
安倍政権が強引に推し進めた、水道の民営化についても触れておこう。言うまでもなく、水道はあらゆる人にとって必要不可欠な「みんなのもの」であり、公共性が極めて高い。ところが安倍政権下、自治体が給水責任と施設の所有権を持ったまま、運営権を民間企業に売却する「コンセッション方式」を選択できるよう、水道法が改定された。諸外国では、水道を民営化した結果、水道料金が高騰するなどの問題が起きて、再公営化する例が増えているにもかかわらず、である。それによって誰が潤うのかはまだ定かではないが、これも「公共の解体と私物化」の流れの一環と言えるであろう。
種子法(主要農作物種子法)の廃止も同様である。同法は、米、麦、大豆の優良な種子の生産と安定供給を「みんなのため」に必要な公共事業と位置づけ、都道府県に実務を義務づけた。そして国が必要な予算を拠出する法的根拠となってきた。ところが安倍内閣は「民間企業の参入を促す」などの理由で、2017年の国会に同法廃止法案を提出。賛成多数で可決させた。
同法廃止を受け、代わりとなる「種子条例」を制定して従来の事業を継続する自治体が相次いでいるため、今のところ種子の生産体制は守られているようだ。しかし自治体が種子の生産をやめれば、主に外国の多国籍企業による種子の寡占が進み、農家は大企業から種子を買わざるをえなくなっていくだろう。すると種子は高騰し、農薬や化学肥料もセットで売られ、栽培法すらも企業によって指定されるようになる可能性が高い。そう考えると、種子法廃止も安倍政権による「公共の解体と私物化」のベクトルに沿うものだと言える。
究極の責任は私たち主権者に
このように見てくると、安倍政権下、多方面で「公共=みんなのもの」が解体・私物化されつつあることがわかるであろう。あいちトリエンナーレの件は、安倍政権下で同時に進んでいる様々な動きと、ある意味でシンクロしている。いわば必然的に起きたと言えるのである。
このまま放置しておけば、今度は税金が拠出されない表現も、規制・弾圧されていくことになるだろう。それには憲法第21条が障害となるが、今回の政府の説明が巧妙に21条問題を迂回し「手続き論」に終始したように、様々な詭弁が使われていくことになるのではないだろうか。私物化とは「貪欲」によって起きるものであり、必ずエスカレートするからである。
日本国民のみなさんに聞きたいのは、みなさんは日本がそのような社会になっても本当によいのか、ということである。僕は外国に住んでいるが、母国が一部の人たちに所有された不自由な社会になって欲しくないので、抵抗する。今回の政府の動きも到底許容できないものだと考えている。
容認できないのであれば、選挙で、署名活動で、路上で、オンライン上で、主権者としてその意思を示すことが肝心だ。なぜここまで安倍政権が平気で「公共の解体と私物化」を実行できているのかと言えば、それはいくら彼らが公共の私物化を進めても、世論調査の支持率がさして下がらないし、選挙でも勝ち続けているからである。
私たち主権者にこそ、究極の責任がある。