もっとも、衆議院の小選挙区とは異なり、自治体選挙は定数が大きく、当選に必要な票数もそれほど多くない。新しい選挙スタイルによって当選する可能性は開かれている。茨城県つくば市議会議員の川久保皆実さんは選挙カーを使わず、街頭演説もせず、WEBサイトや動画作成、ゴミ拾いという新しい選挙スタイルで当選をした。そのノウハウを広げるべく「選挙チェンジチャレンジの会」を結成し、仲間を応援している。統一地方選ではこの会から20~40代の候補者20人が当選したという(うち女性は13人)。トップ当選が6人も含まれるというのは驚くべき成果だ。つまり、「24時間戦えますか」の昭和モデルだけが唯一の方法ではなく、有権者も新しい時代にマッチした、ワークライフバランスのある選挙運動を歓迎しているのである。
地方議会において新しい選挙スタイルが広がってくれば、それはやがて国政にも影響を及ぼすだろう。なにしろ、国政にしても地方選挙にしても投票率が低い。大方の有権者は政治を諦め、議会に関心を持っていない。新しく多様な選挙スタイルが出てくることは、有権者の関心を高める効果を持つのではないだろうか。
新しい選挙スタイルという意味では東京都杉並区の岸本聡子区長の戦い方も新鮮だった(杉並区長選は22年6月実施)。自分が演説するだけではなく、マイクを有権者に渡し、座り込んで有権者の発言に耳を傾けていたのは印象的だ。杉並区では支持者たちが「一人街宣」を行い、最終的には30〜40人が参加したという(「岸本聡子・杉並区長当選の原動力は…支持者による「一人街宣」活動だった」東京新聞、2022年8月20日)。こうした市民の活動が今回の統一地方選では「杉並区議選ドラフト会議」に発展し、候補者を政策などで選ぶことをサポートする活動が行われた。岸本区長も「杉並は止まらない 決めるのは私たち」のボードを掲げ、一人街宣を行なっていた。こうした活動の結果、投票率は4.19ポイント向上の43.66%。男女がほぼ同数の議会が誕生した背景には投票率向上があったことが窺える。
選挙ボランティアを広げる活動が出てきたことも、今回の統一地方選の特色だ。女性候補者が少ない背景に選挙ボランティアをする女性や子育て世代が少ないこともあると、若手女性たちが立ち上がり、ボランティアを呼びかけていた。Stand by Women代表の濵田真里さんはわかりやすい「選挙ボランティアのしおり」を作製、20代・30代の議員を増やす活動をしているFIFTYS PROJECT(代表:能條桃子)は候補者支援の一環として候補者ボランティアも募集した。
こうした活動が積み上がることで、やがては新しい選挙文化が形成されていく。それはまだ主流を成しているとまではいえないものの、その萌芽がはっきりと見られたことが今回の統一地方選の大きな成果だ。4年後には市民の創造力と力はさらにパワーアップしているだろう。杉並だけではない、全国で「日本は止まらない、決めるのは私たち」、と行きたいではないか。
「男性政治」は変わるか?
このように統一地方選は希望が持てる選挙結果を示したが、それでは「男性政治」は変わるのだろうか。もちろん、そんなに簡単に廃れるものではない。国政において候補者の選定の実権を握るのは政党であり、政党は男性政治の牙城である。これを打破するには莫大なエネルギーが必要だ。
最大の議席数を持つ自民党に女性が少ないことが、国会全体の女性の少なさに直結している。自民党が変われるとしたら、それは危機感を持ったときである。実際、統一地方選においても危機感を持った地方組織は変化を見せた。国政においては、野党が女性をより積極的に擁立し、自民党に危機感を抱かせることができるならば、自民党も対応をせざるを得なくなる。
ここで鍵を握るのは立憲民主党だ。野党第一党であり、立民が女性擁立を牽引することが、政界全体の女性割合を引き上げるためには不可欠だ。統一地方選では維新の躍進が取り沙汰されたが、実際には市議選で立憲民主党は72増の269議席を獲得している(維新は108増の154議席)。立民には発信力のある女性議員も多い。もっとも、幹部に女性が少ないのが課題である。一部地域に見られた女性のパワーを立民が取り込み、ステップアップできるのか、それとも維新の陰に埋没感を深めるのか。今後の国政の趨勢を見るうえでも、「女性」は重要な要素である。
男性政治
注:著者は、「男性政治」を次のように定義し、説明している。
「男性政治とは、男性だけでモノゴトを決め、新しいメンバーには男性だけを迎え入れ、それを特におかしいと思わない政治のあり方である。男性政治において女性の参入もたまには認められるが、男性と対等なメンバーとしては扱われない。男性政治の主たる担い手は、健康で、異性愛で、ケア責任を担わず、ほぼ全ての時間を政治に用いることのできる男性だが、男性でも男性政治に抗う人はいるし、女性でも組み込まれる人はいる」(『さらば、男性政治』p.3)