ガンジーやゲバラの思想を継ぐ「髭の村長」
朝、レンタカーでアンダルシア州の州都セビリアから東へ延びる高速道路を使い、マリナレーダ村へ向かう。約1時間の道のりだ。途中で高速を出てオリーブ畑のまん中を北へと二車線道路を走る。この辺りでは昔から、貴族などの大農園主が土地を支配してきた。マリナレーダ村民も元々は皆小作農。年に数カ月だけ労働に駆り出される他は仕事がなく、他州や他国へ出稼ぎに行かなければ食べていけない貧窮農民だった。が、それはフアン・マヌエル・サンチェス・ゴルディージョ村長の登場とともに変わる。高速を離れて約15分。村が見えてきた。中へ入り、通りがかった人に役場を尋ねると、「このリベルタ(自由)通りを行けば、左手にあるよ」と言う。広い並木通りを東へ進むと、やがて人影が増え、しゃれた村役場の建物が見えた。
広い駐車場に車を止めて、村長を探す。インタビューの約束の時間はすぎているのに、いない。職員に聞いても、「さあ、家の電話に出ませんし、携帯電話は数日前になくしてしまったようなので」と、素っ気ない。待たされること約1時間半。正午前にようやく現れた。
小柄だが髭(ひげ)をたくわえた風貌は、まさに「革命家」。私を見るなり握手をして、「今お話しますね」と言う。が、結局は更に1時間、職員や観光客(村長は有名人!)と立ち話をし、テレビ取材を受けた後、ようやく私の番が来た。
「あなたはコミュニストですか?」
執務室の椅子に腰掛けた髭の村長にそう尋ねると、
「私はごちゃ混ぜ主義者です」
と、目を見開き、真顔で言う。
「自ら慎ましく生きたイエスを支持するキリスト主義者ですし、社会主義、コミュニズムも支持しています。富は皆で分かち合い、皆に関わることは皆で決める、アナキストでもある。そして何より共同体主義者です。ガンジーやゲバラの思想にも共感しています」
執務室の壁には、ゲバラの写真が飾られている。「ガンジーでもいいんですけどね」と村長。彼にとっては主義より何より、村という共同体の役に立つことこそが、真に意味のあるものなのだろう。それは40年近く前からの彼と村の歴史が物語っている。
土地も仕事もなかった村人たちの闘い
村の小作農の家に育ち、苦労して大学の歴史・教育学科を出たサンチェス・ゴルディージョは、20代のころから地元の小作農を組織し、「耕す者」の手に土地を取り戻す運動を始めた。村周辺の広大な土地はずっと、封建時代さながらに貴族らが所有していた。大金持ちの彼らは土地の有効活用に関心を持たず、村人たちは土地も仕事もなく飢えていた。当時スペインを統治していたフランコ政権は、ファシズムの流れを汲む右派保守政権(1939年誕生)で、総統フランコの死(75年)まで、伝統的な支配を好む独裁体制を維持していた。そこで若きサンチェス・ゴルディージョは、スペインが独裁から解放され、民主化の道を歩み始めて最初の選挙(1979年)で、弱冠30歳で村長に当選。革命の狼煙(のろし)を上げた。「必要なものが不足している者がいれば、沢山持っている者からとって補充しなければなりません。金持ちは、貧乏人から多くのものを奪っているからこそ、金持ちなのですから」
髭村長は、 自分たちの権利のために闘うことを誓った村人たちと、80年夏、食べるものにも事欠く状況をまず打開すべく、700人 で「飢餓撲滅のためのハンガーストライキ」を決行する。これを9日間続けた結果、アンダルシア州政府から8億円近い金額の失業対策支援金を手に入れた。
85年からは、近郊にある貴族の農園1200へクタールの利用許可を求めて、その土地の占拠を実行。土地なし農民の仕事場を確保し、65%を超えるマリナレーダ村の失業率を下げるために闘った。
「今でも占拠を覚えています。まだ子どもだったので、てっきり皆でキャンプしに来ているものだと思っていましたけど」
農園で90日間にわたる占拠の経験を持つ村議会議員のエスペランサ・サアベドラ(34)は、そう笑う。子どもも参加して6年間で(1985~90年)100回以上、繰り返し行われた占拠行動は、91年、州都セビリアでの抗議行動に移ろうとしたところで突然、勝利する。翌年にセビリア万博を控えていた州政府が、問題を避けるために地主に対価を支払い、土地を農民たちに与えたからだ。
月15ユーロで住める立派な家
得た土地は組合形式で運営される農園になり、そこで生産されるオリーブから油を搾り、ピーマンやそら豆などは瓶詰にする組合の工場も建設された。この農業と農産品加工業が、村の経済を支えている。組合で働く村人の賃金は1日47ユーロ(約7000円)で、皆均一。利益は新たな雇用創出に投資される。村での暮らしに大金は不要だ。多国籍企業経営の大型スーパーや会社、ファストフード店はなく、大半のものが村の中で循環する。少し車を走らせれば大型店にも行けるが、生活に不可欠ではない。
経済危機により、スペインでは住宅ローンを返済できずに家を失う人が続出したが、ここでは自ら建設作業に参加すれば、月15ユーロの家賃で立派な家に住める。
「私もその一つに住んでいますが、見に来ますか?」
村長がそう言うので、遠慮なくお邪魔することに。役場を出て、自由通りを横切れば、すぐだ。
玄関を入ると一階には居間と書斎、キッチン、そして車庫付きの広い中庭があり、2階には寝室が3つある。広い! 長く暮らすのであれば、外国人でもこれと同じタイプの家を建てて住む権利を得られるという。
「住宅とはそもそも投機の対象ではなく、人間なら誰もが持つ権利のあるものです。今ある『住宅問題』は、資本主義が人工的に創り出したものです」
と、村長。家を建てる土地も、建築材費や技師と左官の賃金も州の助成金から村が出す。買って転売するのは御法度だ。
住宅だけでなく、マリナレーダ村では文化施設、スポーツ施設、公園、保育園など、あらゆる設備とサービスが充実している。自宅で使うインターネットも無料だ。
村長らがスーパーを襲撃した理由
自らの闘いで勝ち取った土地と権利により、村は今のところ、かつてのような飢えを知らない。だがアンダルシア州全体には、経済危機以降、食べる物もろくに買えない人が大勢いる。この「人権侵害」を前に、髭村長と彼が所属する労働組合のメンバーは、一つの行動を計画する。2012年夏、二つの町にある大型スーパー2店舗へ行き、メンバーの一部は店の前で「食料品を無駄にするな!」と訴え、残りのメンバーはカート1台に200ユーロ相当の食料品を詰め込み、10台ほどで代金を支払わずに店を出て、「収用品」を都市のホームレスや失業者に「再分配」したのだ。その1店舗での行動に参加した村長は言う。「スペインでは、400ユーロ未満の品をやむを得ない事情で暴力や脅迫なしに持ち去った場合、違反にはなりますが、犯罪として罰せられることはないのです」
そして一連の行動の意図を、こう説明する。
「経済危機の原因を作った大資本は、農民の生産したものを買いたたき、飢えを増やしておいて、自分たちだけはもうけ続け、消費期限が近づいただけで大量の食料を廃棄しています。それなら最初から分配すべきだということを、人々に考えて欲しかったのです」
スーパーは彼を訴えたが、裁判所は「彼はスーパー内部での行動に参加していないうえ、政治的行動を支援しただけだ」という理由で、不起訴にした。
村人全員参加の直接民主主義
カリスマ性あふれる髭村長は、根っからの民主主義者だ。村の運営は、村人全員参加による直接民主主義に基礎を置く。村長職の報酬は受け取らず、村の高校で歴史を教えて生活する。「私は村人全員が村長であるべきだと思っています。だから、ここでは住民総会が最高決定機関です。