フランス産業界のアキレス腱の一つは、国際競争力の弱さだ。2000年には、世界全体の輸出額のうち、フランスが6%を占めていたが、12年には4%に下がっている。また、フランスの国内総生産(GDP)に製造業が占める比率を見ると、05年には21.5%だった数値が、15年には19.5%に低下している。
フランス企業の国際競争力が弱い理由の一つに、社会保障費用や税負担の高さが挙げられる。この国の経済では政府の占める役割が、他の国々に比べて大きい。たとえば政府比率(政府支出がGDPに占める比率)を見ると、15年のフランスの数値は56.8%で、欧州第2位。これはユーロ圏平均(48.7%)、EU平均(47.4%)を大幅に上回るものだ。ちなみに欧州経済の牽引車であるドイツの政府比率は43.9%で、フランスより約13ポイントも低い。
ドイツ並みの抜本的な改革は不可避
マクロンが政府比率を減らし、企業の競争力を高めるには、隣国ドイツが行ったような痛みを伴う改革が不可欠である。ゲアハルト・シュレーダー前ドイツ首相は、03年に「アゲンダ2010」の名の下に、雇用市場と社会保障制度の大改革を断行した。長期失業者への給付金を生活保護の水準まで引き下げて、再就職への圧力を高めた。彼は、第2次世界大戦後のドイツで最も根本的なこの改革によって、労働コストの伸び率を抑えて、企業の競争力を高めることに成功した。2010年以降のドイツが好景気に沸いている理由の一つは、「アゲンダ2010」である。シュレーダーは低賃金部門を拡大することによって、一時は500万人に達していた失業者数を約300万人にまで減らした。この改革によって、ワーキング・プアの問題が生まれたという面もあるものの、少なくとも雇用統計の上では失業者数を減らすことに貢献した。ドイツの失業率が、フランスの半分以下に下がったのも、シュレーダーの功績である。フランスの政治家たちも、同国の経済を建て直すには、ドイツと似たような荒療治が必要であることを知っている。マクロンは、選挙運動の前半では、国の歳出を600億ユーロ(7兆2000億円)減らし、公務員や公共企業の社員数を12万人減らす方針を明らかにしていたが、後半戦ではこれらの公約を口にしなくなった。彼は経済大臣だったときの経験から、改革案が市民の猛反対に遭遇することを知っているのだ。
シュレーダーの「アゲンダ2010」も、有権者から激しく批判され、彼が率いた社会民主党(SPD)は州議会選挙で連戦連敗。05年の連邦議会選挙でも一敗地にまみれて首相の座を追われた。シュレーダー改革が果実を生み始めたのは、彼が政界を去ってから5年後のことだった。
マクロンは、国民に痛みを強いる改革を断行できるだろうか。フランスの労働組合は、ドイツよりもはるかに戦闘的であり、改革の歩みは難航するだろう。彼はまず6月11日と18日に行われる国民議会選挙で、政治的基盤を固めなくてはならない。
万一マクロンが改革に失敗し、フランスの失業率を改善できない場合、有権者が不満を強め、2022年の大統領選挙でルペンの得票率をさらに押し上げる危険もある。フランスが大都市と地方、グローバル化の勝ち組と負け組との間で分断されている限り、右派ポピュリズムという「ダモクレスの剣」は、フランスの頭上から去らない。
ダモクレスの剣
王座の頭上に、髪一本で吊るされている剣のこと。転じて、繁栄の中にも常に危険があることを言う。シラクサ(シチリア島の都市)の王ディオニュシオスが、王の幸福を讃えた廷臣ダモクレスを王座に座らせ、その頭上に毛髪1本で抜き身の剣をつるすことで、支配者には常に危険が伴うことを悟らせた、というギリシャの故事にちなむ。