日中関係って、経済的にものすごく深くつながっていて、切っても切れないですから、戦争が起こる可能性は少ない。
中国の外交官や元外交官と、今の日中関係について語り合う機会がしばしばあるのですが、やはり皆さん、日本のことを本当によく知っているんですよ。
中島 そうなんですよね。
猿田 アメリカで日本政治のことをよく知っていることになっている知日派の人々よりも、中国に何人もいる日本のことを研究している研究者だとか、別に日本への大使でもない別の国の大使だった人と話しても、彼らの方が圧倒的に日本に関する知識が多いし、深いし、理解をしようという好奇心もあると感じます。
それに、ごくごく例外を除けばアメリカの知日派は、日本語も話せないわけです。でも、中国の知日派の多くは、日本語が驚くほどぺらぺらですからね……このギャップ!
それなのに、日本の新聞は、場合によっては「自分のメインの専門は、アフガニスタンなんですけど、ちょっと日本もやっています」という人たちまで「アメリカの知日派」とか書いてしまう。その程度の「知日派」しかいないアメリカにベッタリで、日本のことを考えている人がこれだけいる中国を軽視しているのはもったいない。
中島 そうですね。日本は報道が偏るのか、やっぱり中国の人とか、韓国の人とか、日本のことを怒っていたりするんじゃないかなという感じがするじゃないですか。でも、会って、話したりすると、意外にそうでもないんですよね。
それも、ただただ、親しく思っているという訳じゃなく、いろんなことをわかっているんですよ。「日本の人は、こういう経緯があるから、こういうことを言えないんでしょ」とか、それこそ「アメリカの圧力があるからね」とか、いろんなことを知っている。だから、そういうような感情を持ってくれているあいだに、関係を良くしてほしいなと思いますね。
「小さいおうち」に描かれた「戦争の足音」
猿田 ちなみに直木賞をとられた中島さんの小説『小さいおうち』は戦争中のお話ですよね。戦前から戦争中、戦後にかけて。当時ですら、普通に生活をしている人には、戦争というのは、実はそんなに身近なものとは感じられなくて、戦争中に銀座へおしゃれして買い物に行ったり、スキーに行こうとしたりするわけですよね。ああいうものを書こうと思われたモチベーションというのは、どんなところにあったんですか。中島 『小さいおうち』は2008年とか、09年とか、それこそ民主党政権ができた頃に書いていたんですけど、その頃は今とずいぶん空気が違うので、「世の中に警鐘を鳴らしましょう」みたいなことは全然なかったんですね。ただ、割と個人的な興味で、その時代は、本当はどういう時代だったのかを知りたくて、調べて書いたんです。
ただ、小説が出て何年かしたら、だんだんあの時代に似てきた。『小さいおうち』を読んでいると怖くなりますとおっしゃる方が増えて、自分でもそうだなと思うようになりました。例えば中国で戦争が始まっても、普通の人たちは気がつかないというか、それでちょっと豊かになって、生活が、何ていうか、楽しくなったくらいの感覚でしかない。そういうのが怖いですよね。
例えば南スーダンとか、今、何が行なわれているか誰も知らないじゃないですか。ほとんど普通の人は知らない。でも、もう何ていうか、ああやって、憲法の解釈を変えて、行くことになっちゃって、駆けつけ警護とか、そういうことになっている。やっぱり、今の私たちの生活と、外で行なわれていることとの乖離があって、普通の人はあんまり気づいていないという状態とか、似ているなと思います。
猿田 『小さいおうち』は、ほんとに当時の描写が細かく、いろんな資料を調べて書かれたんだなとよくわかります。戦争というのは、こうやってヒタヒタと、気づきもしないときに寄ってきて、気づいたら人が死んでいたみたいなことなのかもしれないなということが、よくわかる。それだけを書かれたかった本でもないんでしょうけれども、それがすごくよくわかるので、ぜひみなさんにお読みいただければと思います。
トランプ政権時代に求められるこれからの日米外交(3)へ続く