10月2日、夜10時ごろ。私は湾仔(Wan Chai)で遅めの夕食をとっていた。食堂のテレビは郊外の荃灣(Tsuen Wan)と沙田(Sha Tin)で起きている警官隊とデモ隊の衝突を中継していた。ツイッターを開くと、人びとが湾仔の隣の銅鑼湾でも集まりはじめていることが分かった。私は店を出て銅鑼湾に向かった。
銅鑼湾のそごう前に人びとが集まり、車道を封鎖しようとしていた。車道は片側3車線で中央にトラムの線路が2本ある。車道に立っている人びとの数は2000〜3000人ほどで、人数は少しずつ増えていった。
近くにいた若者らに声を掛け、来た理由を尋ねてみた。ある大学生らは「インターネット掲示板『連登』を見て抗議行動に参加しに来た」と話した。また「近くでごはんを食べたついでに寄ってみた」という人びともいた。インターネットでリアルタイムの情報に接し、現場に駆けつけるパターンが定着している。
抗議を通じて今一番求めていることを聞くと「香港警察の解散だ」と返ってきた。信頼できない「非人道的」な現在の香港警察は一度解体されて再編成されるべきだ、との意見だった。一連の抗議行動について、ある学生は「民主主義のために動いている」と話し、他の学生は「自由のための戦いだ」と表現した。
私が2日夜に銅鑼湾のそごう前で目撃したのは、今の香港を象徴する典型的な占拠行動の一部始終だ。午後11半時ごろ、抗議者の一部が歩道に設置されていた鉄製の公共のゴミ箱を力づくで引きずりながら車道に移動し、バリケードとして片側の車線を封鎖した。「オキュパイ(Occupy)」の始まりだ。
現場には、沖縄から取材に入った大袈裟太郎氏の姿もあった。彼が2台のスマートフォンを駆使しツイッターとフェイスブックでライブ配信を始めると、多くの人が関心を示して彼の作業を覗き込んでいた。また、日本語ができる若者らは次々に「がんばって」と声を掛け、日本からの注目に感謝を伝えていた。
呼吸する香港、アップデートされる人間関係
メディアは、デモ隊の一部を占める「勇武派」による激しい行動を大々的に報じることが多い。だが、抗議現場にいる大多数は冷静な市民や「和理非(=和平、理性、非暴力)派」と呼ばれる人びとだ。救急、消防など緊急車両が通るときは抗議を一時やめ、道を譲るなどする行動は象徴的だ。
銅鑼湾のそごう前でも印象的な行動を見た。車道に集まる人びとが増えて混沌とするなか、バリケードのゴミ箱から出火したときのことだ。私は最初、抗議行動を目立たせるために誰かが放火したのかと思った。だがゴミ箱の近くにいた若者が「水!」と叫び、それを聞いた人びとが次々に「水!」と叫んだのを見て、自分の誤解に気づいた。バックパックからペットボトルを取り出しキャップをひねりながら何人もが各自の飲み水を持ち寄りゴミ箱前に集まった。火はすぐに消され、どこからともなく拍手が起きた。出火原因は、タバコのポイ捨てだったようだ。
もう一方の車線もいつの間にか封鎖されていた。工事区域で使う柵などを倒し、簡単なバリケードが作られていた。
バスや車は、バリケード前でUターンを余儀なくされていた。腕を回して誘導する若者の姿があった。不便を強いられて不満を示す車両はほとんどなかった。逆に、リズミカルにクラクションを鳴らして占拠行動を応援する車両を、何度か目にした。