ミャンマーのNGOである政治囚支援協会(AAPP)によると、クーデターから4カ月で800人を超える市民が弾圧の犠牲になっている。市民の抵抗は基本的に非武装である。武装していても、空気銃、火炎瓶、短剣、鉄板の盾、手製の爆発物、狩猟用のライフル銃といった程度である。対する軍は、当初こそ放水や催涙弾、音響手榴弾など暴徒用で殺傷能力が低い武器を用いていたが、次第に実弾を用いるようになり、ときには機関銃や迫撃砲のような戦場用の武器まで市民に対して使用した。とりわけ犠牲者が多く出たとされるのは、3月14日のヤンゴン郊外にあるフラインターヤー地区での衝突、軍記念日の祝日であった3月27日の全国的な衝突、4月9日の地方都市バゴーでの衝突である。いずれも100人前後の犠牲者が出ている。
市民のデモを弾圧することは権威主義的な国では珍しいことではない。だが、軍が実弾を発射して死者を出すようなことは極力避けるのが一般的である。発砲によって死傷者が出ると、国民感情を逆に刺激して抵抗が広がる可能性があるからだ。また、国際社会からの批判も覚悟しなければならない。軍内でも反対の声が上がって、組織管理に支障が出る可能性もある。本来リスクが高い選択なのである。だが、ミャンマー軍はためらいなく武力による抑え込みを選択した。
背景には、軍が長年にわたって内戦を戦い、また、国内の反政府運動を武力で鎮圧してきた歴史がある。そもそも軍にとっての主たる脅威は、1948年の独立以来ずっと、国民の一部である共産党や少数民族武装勢力であった。しかも、今回は政敵を一掃するためのクーデター後に広がった抵抗である。軍の目には、抵抗する人々が、秩序に対する脅威であるとともに、駆逐すべき政敵として映る。そうなると、もはや市民ではなくなる。反軍運動参加者を強硬に抑え込むことが正当化されるのである。軍を離れて抵抗に加わった軍関係者たちの証言でも、軍内には反アウンサンスーチー感情が浸透しているといい、一般社会とは隔絶した軍という特殊な集団がもつ閉鎖性も軍の暴力の背景にはありそうだ。
抵抗は続く
クーデターから4カ月、弾圧で抵抗は次第に抑え込まれており、軍による実効支配が拡大している。もし10年前のミャンマーであれば、このまま軍による統治が確立していたかもしれない。しかし、インターネットが生んだオンライン社会で、抵抗勢力は生き延び、支持を拡大している。
アウンサンスーチーら幹部を拘束されたままのNLDは、4月16日に国民統一政府(NUG)を樹立した。クーデター直後にNLD所属議員たちが結成した連邦議会代表委員会(CRPH)が母体である。NUGは、民族や宗教の垣根を越えた真の連邦政府を目指すと宣言し、国家顧問であるアウンサンスーチーと大統領であるウィンミンはそのままで、副大統領にミャンマー北部に多い少数民族であるカチン人で社会活動家であったドゥワラシラー、首相には同じく少数民族であるカレン人で前上院議長であるマンウィンカインタンが就任した。主にNLDのメンバーと少数民族指導者からなる組閣である。さらに、軍事組織である人民防衛軍(PDF)も結成された。都市部での抵抗勢力と山岳地帯で軍との闘争を続けてきた少数民族武装勢力を結集し、新しい軍事機構を目指すものである。アウンサンスーチー派が最高指導者なしで対抗政権としてのかたちを整えているのである。
だが、こうした動きが主にオンラインでのものであるため、NUGによる声明や通告がすぐに実現することはない。大臣が任命されたといっても、組織的な後ろ盾は乏しい。NUGの幹部たちは国家反逆罪で軍によって指名手配されているため、その居場所すらわからない。軍事機構についても、都市の一部で呼応する動きはあるが、基本的に机上のことだ。
しかしそれでも、NUGへの支持は国内外で広がっている。何よりも、軍によるクーデターが正統性を欠き、その後の弾圧が不当に見えたことが最大の理由だろう。加えて、新型コロナウイルス禍で世界標準となったオンライン会議がNUGを助けたといえる。NUG幹部となったNLD所属のササやジンマーアウン、また、アウンサンスーチー政権下で国連代表部大使となり、クーデター後に国連総会で涙ながらに軍を批判したチョーモートゥンらが、欧米を中心に各国に対して軍の不承認、NUGの承認を訴えている。5月26日には、日本の国会議員が超党派でつくる「ミャンマーの民主化を支援する議員連盟」がNUGとオンライン会合を開催し、両組織の連携・協力にむけた共同声明を発表している。
加えて、デモと並行して広がった市民的不服従運動(CDM)の影響が残る。CDMの動きは政府職員内に広く浸透し、教育省や保健省といった省庁では1割から2割の職員がCDM参加を理由に停職や解雇といった処分を受けている。なかには訴追された人たちもいる。実効支配が拡大しているといっても、クーデター前のミャンマー政府と比べれば、現在の軍の統治能力は確実に落ちているので、国力や情勢がクーデター前と同じ水準に戻るということは意味しない。
クーデターから4カ月たって今起きていることをひとことで言えば、実効支配と正統性との乖離である。ミャンマー国内では軍による実効的な支配の範囲が広がっている。その一方で、正統性(誰が統治するのが正しいのか)という点ではNUGが国内外で優位にある。両者の溝は相当に深く、お互いがお互いをテロリスト団体に指定している。2011年の民政移管後に両勢力が和解する土台となった2008年憲法についても、NUGは廃止すると明言している。1990年代と2000年代の軍事政権時代でも、ここまで国内勢力との間、もっといえば、軍と市民との間が対立することはなかった。
今後を占う3つのシナリオ
ミャンマーはどこに向かうのだろうか。ここでは3つの現実的なシナリオを示しておきたい。なお、軍の分裂、NUGによる革命、全土での内戦、という3つの可能性はここでは排除する。現実的ではないからである。
まず1つ目のシナリオは、軍がクーデター時のプラン通りに政権移譲を押し進めるというものである。非常事態宣言を1年あるいは憲法上の上限である2年間続ける。その間、アウンサンスーチーらNLD幹部に刑事罰が下され、NLDも選挙不正を理由に解党措置となる。そして、自由でも公正でもない再選挙が行われ、軍に近い政党である連邦団結発展党(USDP)が勝利して、軍寄りの政権ができるという筋書きである。