そのひとつの成果は、4月24日にインドネシアのジャカルタで開かれたASEAN指導者会議(ASEAN Leaders Summit)だろう。同会議への出席はミンアウンフライン将軍にとってクーデター後、初の外遊となった。最終的に、「5つのコンセンサス(暴力の即時停止、関係者間の建設的対話、特使派遣、人道支援、特使受け入れ)」が成果として発表され、事態収拾のための外交的な対話を開始することには成功したといえる。
ところが、その後の進捗は遅々としている。無理もない。そもそも内政不干渉を原則とするASEANにとって、こうした外交的な働きかけは不得手だ。しかも、大陸部にあるベトナム、タイ、ラオス、カンボジアの4カ国と、島しょ部の6カ国との間には、ミャンマー危機への対応について温度差がある。大陸部の国々はいずれも非民主的な体制で、内政に干渉するような外交努力には消極的である。現に、タイ、マレーシア、インドネシアの3カ国の間で調整がつかず、本稿執筆時点(7月半ば)で、ASEAN特使すらまだ任命されていない。ASEAN一体としての行動がどこまで続くかは不透明だといえる。
このように、欧米による個別の制裁が発動される一方で、より強力な圧力をかける情勢は生まれていない。欧米だけでは制裁のインパクトに限りがある。最も軍に直接的な影響を与えられるのは中国だが、中国は制裁を批判しながら様子見の姿勢である。現状を改善するには、ASEANの働きかけに期待する以外ないのだが、ミャンマー軍に配慮しながらのASEANの動きは、緩慢かつ弱腰に見える。その結果、圧力と働きかけ、双方のアプローチとも事態を変えることはできていない。
日本は何をすべきか
こうして俯瞰するとわかるのは、ミャンマー情勢を外交によって変えることが難しいという厳しい現実である。それは、日本がミャンマーにとっての最大の支援国であっても変わりはない。日本にとってミャンマーは、1954年に合意された戦後賠償以来、常に援助や経済協力の主要な対象国のひとつであった。
1988年のクーデター以降に抑えられていた日本からの支援は、2011年の民政移管を機に急速に拡大した。現在実施中の政府開発援助(ODA)案件は、円借款が34件で7396億円、無償資金協力が26件で585億円、22件の技術協力を実施中だという(2021年4月15日、参議院外交防衛委員会での外務省国際協力局長による答弁)。これは、OECD加盟国の中で群を抜いて多い支援額である。代表的な円借款としては、ヤンゴン近郊のティラワ経済特区の整備や、タイとミャンマーを結ぶ物流の効率化を目指した東西経済廻廊の整備事業がある。いずれも、ミャンマーの経済的潜在力と民主化の進展を見込んだうえでの長期的発展を見据えた支援である。さらに、貧困削減、病院整備、村落電化、国内避難民への緊急支援など、無償資金協力案件でも多くの事業を実施してきた。
今回のクーデターは、この拡大する日本の支援に対する裏切りともいえた。日本政府は、民間人への暴力停止や拘束者の解放、そして民主的政権への復帰を、軍に対して求めている。政府開発援助についても、新規事業は停止し、既存の事業についても、事態の推移次第では全面停止も視野に入れることを、茂木敏充外務大臣が日本経済新聞へのインタビューで答えている(5月21日)。決して軍による統治を認めようとしているわけではない。それに加えて、6月8日、10日には、衆参両院でそれぞれミャンマー軍に対する非難決議が採択されており、政府だけでなく議会からも声は上がる。
だが、すぐに援助を全面停止したり、単独で制裁をかけたりするようなことはないだろうし、すべきではない。ODAの全面停止を材料に軍と交渉をしようとしても、今は軍が耳を貸す状況にはない。軍を動かす効果が期待できない。むろん、効果よりも正義を重視するという選択もある。日本政府は2000年代半ばから、民主主義や人権のような普遍的な価値観を重視する「価値の外交」を唱えており、原理原則に照らせば、軍によるクーデターを支持することは外交的な選択肢にはなりえない。ミャンマー市民、日本国民に対して説明責任を果たすこともできないだろう。
だが、少なくともいまは、急激に援助政策を転換することで、ミャンマー軍への影響力を失うリスクを負うべきではない。在留邦人の安全や企業の利益といった国益が失われる可能性があることはもちろん、軍の統治下にあるミャンマー市民にも影響が出る。雇用が失われ、支援活動もできなくなる可能性がある。さらに、インド太平洋地域の平和と安定という観点からは、中国、ロシアによるミャンマーへの影響力が増大する状況を自ら招くことになる。一国の外交姿勢として、軍と決別することは毅然としているように見えても、それだけでは実態としての正義が実現しない。現状を、軍を支持するのか、民主化勢力を支持するのか、という二者択一で考えるべきではないのである。
では、どうするか。ミャンマーで政治が安定する道筋は両勢力の和解しかない。だが、その和解へのロードマップを外交が描くことは現状ではほぼ不可能である。1988年のクーデター後に和解が成立するまで23年かかったが、今回も長期化を覚悟する必要がある。それまで、日本政府としてできることをやっていくしかない。
いま、唯一進展を見せているのは、先述したASEAN諸国内での「5つのコンセンサス」だろう。コンセンサスの実現については、ミャンマー軍は情勢が安定してからだと先延ばしにしようとしている。日本に期待される行動は、このコンセンサスをひとつでも履行に移すようにミャンマー軍に働きかけることである。なかでもASEAN特使の派遣とASEAN防災人道支援調整センター(AHA Centre)による人道支援は早急に進める必要がある。
人道状況は極めて深刻だ。カチン州、カイン州、チン州といった周辺地域では、軍と抵抗勢力との衝突などで、すでに10万人を超える国内避難民が出ているといわれる。猶予はない。また、今後の経済的な困窮は目に見えており、国連の推計ではクーデター後の混乱と新型コロナウイルス禍で来年までに人口の約半数が貧困に陥るという試算もある。日本は国連機関を通して支援しているが、国連機関もミャンマー国内での活動には制限が多い。
政治的和解への誘導を長期的な目標としつつも、いまは、軍に対して現状を認めていないというメッセージを発しながら、同時に、ASEANと日本、それぞれで軍に現状を変えるように働きかけていくべきだろう。
政治勢力間の亀裂は深く、お互いへの憎悪がミャンマーという国をさらなる危機に陥れる可能性もある。国家が機能しなくなり、経済が行き詰まって、それで最も困るのは一般市民だ。危機から革命が生まれるというのは幻想である。危機は、軍の統治を機能不全に追いやるだけでなく、将来の政治的和解にも民主化にもつながらない。国家や経済を壊さないことを最優先とする外交を積極的に進めることが、現在、日本政府がとるべき道である。