今重要なのは、ウクライナの主権と領土を1ミリも削らないかたちで、一刻も早くこの侵略戦争を終わらせることである。そのために日本は、抵抗を続けるウクライナを非軍事的な手段で支援するとともに、ロシアへの圧力を一層強めるための外交に力を尽くすべきだ。
「専守防衛」は国際法の規範
今回のロシアによるウクライナ侵攻は、欧州各国の安全保障をめぐる政策や世論に大きなインパクトを与えている。
日本でも、これを憲法9条の改正や「敵基地攻撃能力」の保有につなげようという動きが起きている。
改憲を主張する人は「憲法9条では国を守れない」と言う。しかし、戦争放棄と戦力不保持を定めた憲法9条は、そもそも日本を防衛するための条項ではない。日本が再び軍国主義に陥り、他国を侵略することがないよう、政府を縛るために設けられた条項だ。
外国の侵略を受けた場合にどのように国を守るかについては、「将来国際連合が有効にこれを阻止する機能を果たし得るに至るまでは、米国との安全保障体制を基調としてこれに対処する」(1957年閣議決定の「国防の基本方針」)という方針でこれまでやってきた。つまり、日米安保条約に基づく日米の共同対処(自衛隊と米軍の共同作戦)で侵略に抵抗し、これを撃退するという方針である。
おそらく、「憲法9条では国を守れない」と主張する人は、憲法9条が自衛隊にもたらしている行動の制約が、外国の侵略から日本を防衛する上で障害になると考えているのだろう。
憲法9条が自衛隊にもたらしている制約とは、「専守防衛」のことである。日本政府は専守防衛を、「相手から武力攻撃を受けたとき初めて防衛力を行使し、その態様も自衛のための必要最小限にとどめ、また保持する防衛力も自衛のための必要最小限のものに限るなど、憲法の精神にのっとった受動的な防衛戦略」と定義している。
改憲派を代表する政治家である安倍晋三氏は首相時代、専守防衛について「相手からの第一撃を事実上甘受し、国土が戦場になりかねないものだ」と述べ、「純粋に防衛戦略として考えれば大変厳しいという現実がある」との認識を示した(2018年2月14日、衆議院予算委員会での答弁)。この発言からも、専守防衛では国を守れない、だから憲法9条を改正してこの制約を取っ払う必要がある――という考えが透けて見える。
しかし、誤解してはならないのは、専守防衛とはなにも憲法9条を持つ日本だけに課せられた制約ではないということだ。
まず、「相手から武力攻撃を受けたとき初めて防衛力を行使し」という制約は、国連憲章が定める自衛権行使の要件と同じである。国連憲章第51条は、自衛権行使の要件を「国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合」と定めている。
また、アメリカによるニカラグアへの軍事介入を国際法違反と判断した国際司法裁判所(ICJ)の判決(1986年)は、自衛権行使が合法と認められるには、敵の武力攻撃に対する反撃行為の「必要性」と武力攻撃と反撃行為との間の「均衡性」という2つの要件を満たす必要があるとした。この2つの要件は、日本の専守防衛の定義の「(防衛力行使の態様を)自衛のための必要最小限にとどめ」と重なる。
「相手から武力攻撃を受けたとき初めて防衛力を行使し、その態様も自衛のための必要最小限にとどめ」という専守防衛の原則は本来、日本だけでなくすべての国が守らなければならない国際法上の規範なのである。日本は憲法9条の下で専守防衛を国是とすることで、この規範を厳格に守ることを世界に向かって宣言しているのだ。
しかし、世界に目を向けると、残念ながらこの規範は厳格に守られていないのが現実である。たとえばアメリカは、自国の国土を戦場にしないために敵国の領土で戦う方針をとっており、先制攻撃も辞さないドクトリンを採用している。実際、2003年には大量破壊兵器による攻撃の脅威を取り除くとして、イラクを先制攻撃した(※実際には、イラクは大量破壊兵器を保持しておらず、侵攻の真の目的は、反米的なフセイン政権を倒しレジーム・チェンジをすることであった)。
今回ロシアも、武力攻撃を受けていないにもかかわらず、NATOの脅威やロシア系住民の保護を口実にウクライナを先制攻撃した。
国際法の規範力の強化を
こうした現実を前に、日本はどうするべきなのか。
憲法9条を改正し、専守防衛の立場も投げ捨てて、アメリカやロシアのように先制攻撃も辞さないドクトリンを採用するのか(岸田政権が現在検討を進めている敵基地攻撃能力の保有は、それに道を開く可能性がある)。
それとも、相手から武力攻撃を受ければ自衛権を行使して徹底的に抵抗するが、先制攻撃は絶対にしないという「専守防衛」の立場を貫き、国際法の規範力を強化する方向で力を尽くすのか。
私は、日本は後者を選ぶべきだし、他の国に対しても国際法の規範を守るよう求めていくべきだと考えている。国際法の規範力が弱まれば、世界は「法の支配」から19世紀以前の「力の支配」の時代に逆戻りしてしまう。しかも、今は「核の時代」である。これはあまりにも危険だ。
すでに日本は、自衛隊と日米安全保障条約によって十分過ぎるほどの「自衛力」と「抑止力」を手にしている。アメリカの軍事費(2020年)は7780億ドルで、中国の2520億ドルの約3倍である(ストックホルム国際平和研究所の推計)。日本も491億ドルと、世界第9位の「軍事大国」となっている。
自民党は2021年10月の総選挙にあたって発表した政権公約に、防衛費を「GDP(国内総生産)比2%以上も念頭に増額を目指す」と明記した。これが実現すれば、世界第3~4位の軍事費となる。
しかし、日本が今やるべきなのは、こんなことなのだろうか。万が一侵略された場合に備えて必要最小限の自衛力を持つことは必要だが、過剰な軍備は周辺国に脅威を与え、かえって地域の不安定化を招く。ロシアのウクライナ侵攻で国連憲章に基づく国際秩序が危機にさらされている今だからこそ、自国の安全を国連と国際法の規範力に依拠している多くの小国と力を合わせて、これを守り強化するための外交に力を注ぐべきなのではないか。
日本の歴史的責任
もちろん外交も万能ではないが、外交力を否定してしまったら国際法に基づく国際秩序は成り立たない。
南シナ海の領有権をめぐって中国と対立するASEAN(東南アジア諸国連合)は、2002年に中国と「南シナ海に関する関係国の行動宣言」を策定し、領有権問題の平和的解決という原則を確認し、信頼醸成のために軍関係者の相互交流や環境調査協力などを進めることで合意した。
中国は近年、南シナ海の岩礁を勝手に埋め立てて人工島を造成するなどの「現状変更」を進めている。これらは前出の「行動宣言」に反する行為だが、一方で2002年以降、武力によって他国が実効支配をしている島嶼を奪取するという行動には出ていないのも事実である(*)。その意味では、行動宣言が中国の行動を一定縛ってきたと言える。
ASEANと中国の間では現在、行動宣言を法的拘束力のある「行動規範」に格上げするための協議が粘り強く進められている。
日本もASEANのように、中国の行動を国際規範によって縛っていく外交努力を強めるべきだ。幸い、日中間には日中平和友好条約が存在する。1978年に結ばれたこの条約は、「紛争の平和的解決」「主権及び領土保全の相互尊重」「相互不可侵」「いかなる覇権主義にも反対」などの原則を定めている。今年は日中国交正常化から50年の節目である。改めて上記の諸原則を両国で確認し、国際規範の強化を図る機会としたい。
(*)
中国は2012年、漁船や政府公船を使ってスカボロー礁の実効支配をフィリピンから奪取した。これに対してフィリピンは、国連海洋法条約に基づいてオランダ・ハーグの仲裁裁判所に提訴し、中国の領有権の主張には国際法上の根拠がないとする全面勝訴判決を勝ち取った。このようにフィリピンは、中国の「力による現状変更」に対して国際法で対抗している。