この運動をさらに加熱させたのが1870年代に活躍した献身的なキリスト教徒で純潔を重んじる社会改革家のアンソニー・コムストックだ。コムストックはキリスト教青年会(YMCA)の援助でわいせつ物取り締まりの運動を行い、わいせつ物輸送を禁じる通称「コムストック法」を成立させた。そのわいせつ物の中には、避妊や中絶の情報も含まれていた。純潔を説く彼の運動は効果的であり、1910年には40の州で中絶が違法(重罪)になった。現在はリベラルが多いことで知られる東海岸のニューイングランド地方(コネチカット、ロードアイランド、マサチューセッツ、ニューハンプシャー、バーモント、メインの6州)だが、この法の成立を受けて避妊や中絶に関して最も厳しい地域になり、コネチカット州では結婚している夫婦が自宅で避妊することさえも、最長1年の懲役刑の可能性がある犯罪になった。
中絶が違法になったことで、警察や裁判所が中絶施術者や中絶を行った女性を厳しく取り締まり、告訴するようになった。そのために中絶反対派は運動をする必要がなくなり、しばらく鳴りを潜めた。
中絶の権利が政治的争点に
しかし、1960年頃、法律の専門家の中から「レイプされた場合などは例外として中絶を認めるべき」という法改革の運動が起こった。そこにフェミニズムの運動が加わり、1967年のコロラド州とカリフォルニア州を皮切りに、複数の州で中絶禁止を緩和する法の改定が起こり始めた。それに対し、カトリックを中心にした宗教グループが「生存の権利(right-to-life)」という主張で反人工妊娠中絶の運動を開始した。
胎児の生存の権利を主張する、すなわち「プロライフ(Pro-Life)」(註4)の戦いが加熱したきっかけは、1973年の「ロー対ウェイド判決」だった。それまでの中絶反対派は、カトリックを中心とした小さなグループでしかなかったが、キリスト教福音派(原理主義のプロテスタント)が加わって組織化し、子宮内の胎児や堕胎した胎児の写真を掲げたデモなど、運動を広める効果的な戦略が使われるようになった。同時に「Army of God」といったキリスト教テロ組織も生まれ、人工妊娠中絶や避妊教育を行うクリニックと産婦人科医に対する放火、爆弾襲撃、銃襲撃、脅迫、誘拐、殺人(未遂を含む)事件が多発するようになった。
かつては民主党支持だった南部の福音派を共和党に取り込む戦略を立てたのはリチャード・ニクソン大統領だった。1960 年代に黒人の公民権運動を支持した民主党に対して、白人のキリスト教徒らが不満を抱いていることに着目したのだ。伝統的な男女の役割を重んじる宗教原理主義者を積極的に投票に向かわせる大きな動機は、「反人工妊娠中絶」と「反同性愛」である。組織票を持つ南部の白人のキリスト教原理主義者は、共和党にとって非常に重要な票田になっていった。共和党は、初期には選挙で勝利するために彼らを利用したわけだが、次第に党内で福音派=宗教右派が勢力を拡大し、根本的な部分で共和党を変えていった。
トランプ大統領と保守の逆襲
2015年に最高裁が5対4で同性結婚を憲法の下の権利とする判決を下したことで、宗教右派による政治活動はさらに加熱した。彼らは最高裁がリベラルの「活動家判事」によって牛耳られているという不満を持ち、それらの判事を保守に入れ替えて「ロー対ウェイド判決」を覆すという大きな目標で勢いを増した。その彼らがこぞって期待をかけたのがドナルド・トランプ大統領だった。
大統領候補に対する質問の中で、「ロー対ウェイド判決」にどのような見解を持っているか、そして「人工妊娠中絶は合法であるべきか、違法であるべきか?」という質問は長年にわたり重視されてきた。なぜかというと、最高裁判事を指名する権利を持つのは大統領だからだ。
アメリカ連邦最高裁判事の定員は9人で、死亡するか引退するまで入れ替えはない。トランプ大統領は、4年の任期中に3つの席を保守派判事で埋めた。1つ目は、前任のバラク・オバマ大統領時代にできた空席だ。にもかかわらず、当時上院で多数派を占めていた共和党議員がオバマ大統領指名の候補を200日以上も拒否し続け、トランプが大統領に就任してから保守派のニール・ゴーサッチ判事を指名した。2つ目は、保守派判事の引退に伴い、トランプが保守派ブレット・カバノー判事を指名。3つ目は、リベラルのアイコンだったルース・ベイダー・ギンズバーグ判事の病死により、わずか4カ月後に控えていたジョー・バイデンの大統領就任を待たずに保守派エイミー・コニー・バレット判事を指名した。
かつてのアメリカ議会であれば、1つ目の空席はオバマ大統領、3つ目はバイデン大統領が指名することで納得されていたはずのものだった。しかし、ポリティカル・コレクトネスをものともせず当選したトランプ大統領によって勢いづいた共和党は、なりふり構わずに自分たちの権力を追求するミッチ・マコーネル上院多数党院内総務のリーダーシップによって、超保守の最高裁判事を3人も任命することに成功した。今回「ロー対ウェイド判決」を覆した5人の判事のうちの3人だ。
「ロー対ウェイド判決」(註1)
テキサス州の妊娠中の女性〈ジェーン・ローという仮名を使用〉が、ウェイド地方検事に対して起こした裁判の判決。原告は、母体の生命を保護するために必要な場合を除き、中絶を禁止するというテキサスの州法が、女性の権利を侵害していると訴えた。1973年に下された最高裁判決では、女性が中絶するかどうかを決める権利は、憲法で保障されたプライバシー権の一部であるとし、胎児が子宮の外でも生きられるようになる妊娠後期より前であれば、中絶の権利が認められるとした。この判決により、妊娠初期の中絶は全面的に、中期は限定的ではあるが認められた。
論文(註2)
Kristin Mackert, “To Bear or Not to Bear : Abortion in Victorian America”, 1990(https://repository.library.georgetown.edu/handle/10822/1051350)
「プロライフ(Pro-Life)」(註4)
「Pro(賛成)」+「Life(生命)」の意で、胎児の生命を支持し、中絶に反対する立場のこと。中絶の権利を求める立場は「プロチョイス(Pro- Choice、「女性の選択を支持する」の意)」と呼ばれる。
「アメリカ歴史家協会(OAH)」(註3)
Jennifer L. Holland"Abolishing Abortion: The History of the Pro-Life Movement in America"(https://www.oah.org/tah/issues/2016/november/abolishing-abortion-the-history-of-the-pro-life-movement-in-america/)