有罪判決を受けた犯罪者のトランプが再び大統領になる可能性はいまだに高いのは、人間というものは、理論ではなく、強い感情に流されやすい存在だからだ。
私は長年アメリカの有権者から話を聞いてきたのだが、彼らが語る支持や反対の理由の根底に「自分を肯定したい」という強い欲求があることがわかってきた。自分の人生に満足していない人や他人と比べて引け目を感じている人であっても、他人から「もっと良い人生を送りたいのであれば、もっと努力せよ」とは言われたくはない。「あなたは悪くない。あなたから仕事や機会を奪った他人が悪い。社会が悪い」と言ってもらえたらほっとする。そして自分のほうが他人よりも優れている理由を与えてくれる人に好感を抱くものである。
トランプは、白人男性が「白人であり、男性である」という理由だけで、マイノリティや女性よりも優れていると信じることを肯定してくれる。トランプが繁栄から取り残された地方の白人、特に白人男性から支持を得ている最大の理由はそこにある。
白人女性がハリスを支持しない奇妙な言い訳
一方で、女性蔑視発言が多いトランプをいまだに支持する白人女性が多いのは不思議に思える。だが、直接話を聞き、ソーシャルメディアでの言動を観察すると、移民やマイノリティなどの人権が重視されるようになるにつれて彼女たちが長年抱いてきた価値観を否定されていくことへの危機感や不快感を抱いていることがわかる。
2016年の大統領選挙では、すべてのディベートでヒラリー・クリントンはトランプを圧倒していた。それにもかかわらず選挙に勝ったのはトランプだった。分析からわかったのは、白人女性の43%がヒラリーに、53%がトランプに票を投じたという結果だった。
その53%の中には「ヒラリーは嫌い。クッキーを焼かないとか、あの変なヘアバンドとか」と奇妙な理由でヒラリーへの投票をためらっていることを私に告白した義母も含まれている。義母とその友人たちは古いタイプの共和党支持者であり、裕福な階級の白人である。しかし、彼女らは女性の妊娠出産に関する「選ぶ権利」(避妊や中絶などを選択する権利)に関しては共和党に公然と反対している。「ロー対ウェイド判決」を支持し、現在の共和党が敵視している全米家族計画連盟(Planned Parenthood Federation of America、PPFA)の長年のメンバーとして資金集めのチャリティイベントも行っている。トランプに関しては「下品だ」と眉をひそめる。それでも、今回の選挙で、中絶などの権利を守ると明確に発言したハリスに投票するかと問うと、「あの笑い方が嫌い」と、彼女に票を投じたくない自分の心情について奇妙な言い訳をしたのである。
私が身近で体験しているように、アメリカの女性がトランプを支持する、あるいは好きではなくても受け入れてしまうのは、実は不思議な現象ではない。義母やその友人たちは、自分たちを見下げてきた伴侶についての愚痴は語るが、彼らの経済的成功の恩恵で裕福な専業主婦としてチャリティ活動に勤しむことができた自分の立場を変えたいとは思っていない。また、彼女たちは決して認めないが、マイノリティが自分より下の立場でいる場合には優しくなれるけれど、上の立場に立たれることは不愉快であり、許せないのである。彼女たちは共和党が政権を握っているほうが現在のステイタスを維持できると直感しているので、それを維持できなくなる変化をもたらす民主党を支持できないのだろう。
アメリカにとって「変化」は希望か、それとも絶望か
他にも理由はある。アメリカの作家であり歴史家でもあるレベッカ・ソルニットは、エッセイ集『それを、真(まこと)の名で呼ぶならば』(邦訳は筆者訳、2020年、岩波書店)の中で2016年の大統領選挙でのヒラリー・クリントンの敗北について次のように書いている。
〈アメリカ合衆国に住む女性の多くがフェミニストではないということに、わたしは驚かない。フェミニストであるためには、自分たちが平等であり、同じ権利を持つと信じなければならない。だが、自分が属している家族やコミュニティや教会や州がそれに同意しない場合には、日常生活で居心地が悪くなり、危険にもなる。11秒ごとに女性が殴られるこの国で、しかも10代から40代までの女性に暴力を与える加害者のトップが現在や過去のパートナーであるこの国では、多くの女性にとって、自分が平等で同じ権利を持つと考えないほうが安全なのだ〉
「変化」というのは、良い方向に向かう希望でもあるが、これまでよりも悪くなる可能性を抱える恐怖でもある。恐怖のほうが強い場合には、人は変化そのものに強い反感をもつ。
ハリスがディベートでどんなに素晴らしいパフォーマンスをしても、トランプが錯乱して大統領にはふさわしくない行動を取っても、トランプが大統領に再び返り咲く可能性が高いのにはこういった理由がある。
それでも、アメリカ人が絶望よりも希望を選ぶことを、私は心から願っている。
歴史的黒人大学
Historically Black Colleges and Universities(HBCU)。19世紀後半のアメリカで、大学への入学を禁止されていた黒人学生が高等教育を受けることのできる場として創設された大学のこと。最初期の歴史的黒人大学は南北戦争(1861~1865年)が始まる前にアメリカ北部で創設された(1854年創立、ペンシルバニア州のリンカーン大学など)。南北戦争後はアメリカ南部で数多く創設され、現在でも全米に約100校が存在する。
2016年大統領選挙での「ロシア疑惑」
2016年にドナルド・トランプ氏が勝利したアメリカ大統領選挙において、ロシアがトランプ陣営と共謀してサイバー攻撃などに関与し、選挙結果に影響を与えたのではないかとされた疑惑のこと。最終的には2019年に、トランプ氏またはトランプ陣営がロシアと共謀した証拠はないとする報告書が提出された。
有罪判決を受けた犯罪者のトランプ
ドナルド・トランプ前米大統領は、不倫関係にあった相手に対し、2016年の大統領選直前に口止め料を支払い、この支払いを隠蔽するために業務記録を改ざんしたという疑惑で、2024年3月にニューヨーク地裁に起訴された。2024年5月30日、同地裁は、トランプ前大統領に対し、公職選挙法違反など34件の罪状について有罪という評決を下した。アメリカ大統領経験者が刑事裁判で有罪とされたのは史上初。量刑は大統領選後の11月26日に言い渡される予定となっている。
「ロー対ウェイド判決」
テキサス州の妊娠中の女性〈ジェーン・ローという仮名を使用〉が、ウェイド地方検事に対して起こした裁判の判決。原告は、母体の生命を保護するために必要な場合を除き、中絶を禁止するというテキサスの州法が、女性の権利を侵害していると訴えた。1973年に下された最高裁判決では、女性が中絶するかどうかを決める権利は、憲法で保障されたプライバシー権の一部であるとし、胎児が子宮の外でも生きられるようになる妊娠後期より前であれば、中絶の権利が認められるとした。この判決により、妊娠初期の中絶は全面的に、中期は限定的ではあるが認められた。
全米家族計画連盟(Planned Parenthood Federation of America、PPFA)
20世紀初期のアメリカで産児制限や性教育を啓発するために活動したマーガレット・サンガーが、1916年に創設した団体。中絶の権利に賛同する「プロチョイス」派の団体で、人工妊娠中絶手術や経口避妊薬などの提供、性感染症の予防、性教育の普及といった活動をしている。