矛盾の理由は、現代の日本人が『キングダム』に象徴される中国史の世界と、現代の中国を完全に‟別物”だと考えているから、と考えるのが妥当だろう。始皇帝や諸葛孔明がいる世界は、一種の異世界ファンタジーみたいなもので、習近平が独裁体制を敷いたり日本人学校の児童が襲われたりと剣呑なニュースばかりが伝わる現代中国とは、何の関係もないというわけだ。
これは現代中国のプロである「中国がわかっている人」たちでさえ、日本人である以上はとらわれがちな発想でもある。ただ、カッコいい中国古典世界と、ヤバい現代中国を切り分けて考える発想は、おそらく日本のオリジナルに近い考え方だ(他に台湾や韓国あたりならあるかもしれないが、日本のほうがはるかに濃厚だろう)。
いっぽう、当事者の中国人にとっての中国史は「自分の国の歴史」であり、歴史と現代を切り分ける考えは持っていない。それどころか中国の場合、祖先を重んじる家族観念が強いことや、雄大な中国史が現代のナショナリズムを強化するうえでも役に立つことから、「歴史と現代」の距離感は日本と比べても圧倒的に近い。
唐の時代から理解する「一帯一路」
ゆえに中国史の視点は、現代中国を理解するうえでは必須だ。
たとえば、習近平政権下で採用されている「一帯一路」という世界戦略がある。すなわち、ユーラシア諸国との関係(陸のシルクロード)やインド洋沿岸諸国との関係(海のシルクロード)を強化する、中国の政治的影響圏と経済圏の拡大構想だ。
一帯一路戦略は、昨今の世間で人気の地政学(国際関係学)の分野では、本来ランドパワー(陸上支配力)の国である中国がハートランド(ユーラシア大陸中央部)に対する影響力を強化するいっぽう、シーパワー(海上支配力)の掌握にも向かいはじめた現象として説明される。おそらく確かな見解なのだが、実はこれだけでは説明しきれない中国の内在的な論理も存在する。それを補完できるのが「歴史」の視点だ。
その一例を挙げよう。2023年5月、日本で西側諸国を中心とするG7広島サミット(ウクライナのゼレンスキー大統領がサプライズ訪日したイベントだ)が開催された際、実は中国ではG7サミットとほぼ同日程で「中国・中央アジアサミット」なる国際イベントが開かれた。陝西省の西安に、一帯一路政策の陸のシルクロードの入り口にあたる中央アジア諸国の首脳が集められた会議で、明らかにG7サミットに対抗したイベントだ。
この中国・中央アジアサミットは、唐王朝の旧都(長安)が置かれた西安で開催された。歓迎レセプションの演出は唐の儀礼の再現がモチーフとされ、場所は往年の唐の宮殿を模したテーマパーク、唐代の衣装を着た数百人のダンサーによる豪華なパフォーマンスがおこなわれた。
いっぽう、このイベントに招待された国々(カザフスタン・ウズベキスタン・キルギス・タジキスタン)には、最も西南のトルクメニスタンを除いて共通点があった。いずれも、過去に国土の一部が、7世紀なかばから8世紀初頭の唐の最盛期にその影響下にあった(=世界史の参考書の地図では「唐の版図」として描かれる)地域なのだ。当時、唐の皇帝は、こうした中央アジアの諸地域の政権から天可汗(テングリ・カガン)と呼ばれ、君主として仰がれて朝貢を受ける立場にあった。
唐代は現代の中国人にとって、往年の中華帝国の栄光を象徴する時代だ。現在の習近平政権のスローガンである「中華民族の偉大なる復興」も、漢民族の強大な王朝だった漢や唐、さらに文化強国だった宋あたりを「復興」するべき対象として位置づけている。
往年のシルクロードの起点である唐の古都に、かつての唐の朝貢国だった諸国の首脳を、「陸のシルクロード」のスローガンを掲げる中国のリーダーシップのもとで集めて、唐代風の宮廷儀礼で歓待する行為は、中国側に明らかに一定の意図があったと考えていいだろう。
いっぽう、一帯一路政策のなかでこれと対置される「海のシルクロード」諸国の多くも、かつて明の時代にインド洋各国に朝貢を求める遠征艦隊を複数回率いた鄭和の立ち寄り先と一致する場所にある国(旧朝貢国)が多い。現在、習近平が「海のシルクロード」諸国と外交を行う際に鄭和の事績を持ち出すのは定番だ(詳しくは拙著を読んでほしい)。
中国の国家戦略を理解するには、中国史の知識を使え!
中国史の発想をベースに考えた場合、現代中国の一帯一路政策は、往年の中華帝国の朝貢国の紐帯を復活させる──。つまり、往年の王朝時代のように、数多の「小国」たちに中華人民共和国が主導する国家間関係を受け入れさせる狙いを持つ国家政策だと説明することが可能である。
さらに言えば、中国政府がアフリカ諸国に対して損得を度外視した援助外交を展開しているのも「朝貢」の視点で考えると説明しやすい。朝貢とは、中華の徳を慕う属邦に対して王朝が一方的に恩恵を施す行為でもあるからだ。また、中国が2023年夏ごろから沖縄に対して本格的に取り込み作戦を発動し、中国大使館関係者の頻繁な沖縄訪問や、中国国内での琉球研究センターの設置などを急速に進めはじめた動きの底流にも、往年の属邦との紐帯を再び取り戻したいという、一帯一路政策と共通する動機が存在すると考えられる。
中国国内に足を踏み入れず、かといって現代中国がイヤになるような情報ばかりに感情を揺さぶられることもなく現実の中国を冷静に分析するには、中国史の視点はかなり「使える」のだ。
近づけない中国をなんとか理解する試みは、なんとも苦労が多い。