例えば日本の皆さんも、シリアやイラクの状況はテレビやインターネットのニュースで知っていても、イエメンに関しては、「どこにある国?」「え、戦争していたの?」といった感じではないでしょうか。イエメンが今、どんなにひどい状況になっているかをもっと報道してほしいし、私も微力ながら伝えていきたいと思っています。
医療施設が攻撃対象に
――これもあまり報道されていませんが、イエメンでは医療施設が攻撃対象となっているというのは事実でしょうか。白川 シリアでも同様でしたが、イエメンでも何百という医療施設が空爆されています。私が15年の派遣で活動していた病院も、その後に空爆されて全壊しました。現在は、一部崩壊で済んだ病院などで、かろうじて医療が継続されているのが現状です。ですから、圧倒的に病院の数が足りないし、地元のドクターの数も減っています。避難したのか、空爆で亡くなったのかはわかりません。
――かつての戦争では、病院の屋上に赤十字の旗を掲げ、空爆を回避したというような話もありました。そうした人道的措置も、今は失われているのですね。
白川 ある軍事アナリストが、「自陣にある病院は最初に守り、敵陣にある病院は最初に攻撃する。これが今の戦争だ」と言っていました。病院だけではありません。ライフラインを断つために、マーケットなど人々の日常生活に不可欠な場がいち早く攻撃されますし、道路や橋などのインフラもズタズタに破壊されています。
地元の医療スタッフと共に
――そうした状況の中で、MSFは具体的にどのような活動をしているのですか。白川 MSFには母子保健チームや外傷専門チームなど、専門分野別にいろいろなチームがありますが、病院が足りず多くの患者さんがやってくるイエメンでは、正直なところ、専門分野がどうのと言っていられません。私たちは紛争被害の患者さんに対する外傷外科の援助プロジェクトを展開していましたが、盲腸などの一般外科の手術をすることもありました。日本では“たかが”盲腸かもしれませんが、医療へのアクセスが断たれたイエメンでは、命に関わるほど悪化してから病院に来る人が多い。しかも、もともとの栄養状態が悪いので、手術をしても容易に回復できないのが現状です。
また、私はアウトリーチという活動もしていました。一つの病院で働くのではなく、何曜日はこちら、何曜日はあちらというふうに、地元のスタッフが運営している複数の医療現場を訪れ、数時間だけ支援をして回る活動です。私が担当していた4カ所のうち3カ所は空爆で一部崩壊していましたし、ドクターがいなくなり、地元のナースが一人で切り盛りしている現場もありました。そうしたナースの支援や指導をしたり、どうしてもスタッフが足りないときは、地元で人を雇って教育したりするのも私の仕事でした。
――援助のためとはいえ、紛争地域での移動には危険が伴うのではないでしょうですか。
白川 はい。ちょっとした移動でも、政府側と反政府側両方の許可を取って、安全を保障してもらう必要があります。ただ、許可を取っていても、突然キャンセルされたり、検問所で「聞いていない」と何時間も留め置かれたりするのは日常茶飯事です。
――それでも、頑張っている地元の医療スタッフのことを思えば、なんとしても支援に出向きたいと。
白川 直近の17年の派遣では、私たちはイエメンの保健省が運営している病院を支援していました。そこの医療スタッフは国に雇われているわけですが、国の医療保健体制は崩壊寸前で、お給料が半年以上も支払われていませんでした。しかも、いつ病院が攻撃されるかわからない恐怖もある。それでも毎日通ってくる地元のドクターやナースの行動こそ、真の人道的活動だと思います。彼らの姿を見ていると、私たちももっと頑張らなくては、もっとサポートしなくてはという気持ちになります。
現地では柔軟性と適応力が必須
――ここで、MSFの派遣システムについて教えてください。白川 例えば、まず「8月1日から3カ月、シリアにオペ室ナースとして行けますか」といった派遣の依頼が来て、行けるようなら受けて、現地に飛びます。派遣の期間や派遣先はまちまちで、依頼が来る時期も、派遣の数カ月前のこともあれば、2日前などということもあります。昨年(16年)のイラクは緊急の依頼でした。10月に、ニュースを見てモスル奪回作戦が始まったな、と思っていたら、その日のうちに打診がありました。
――白川さん一人で出かけて、現地のチームに合流するわけですか。
白川 そうです。新規プロジェクトの立ち上げ時以外は、現地で行われている活動に合流します。前任のオペ室ナースの派遣期間が終わったら、その人に代わって私が参加するという形で、医師も看護師も、スタッフは常に入れ替わっています。現地に着くと、「長旅で疲れたでしょう。少し休んで」なんてことはなく(笑)、引き継ぎやブリーフィングを済ませて、即、オペ室に入ります。そこで初めて会った外科医や麻酔科医と仕事をし、私の任期中に外科医が代わることもあるわけです。チーム構成は、もちろんインターナショナル。チームスタッフも代われば、現地の状況も刻々と変化するので、柔軟性と適応力は必須だと思います。
――現地での生活は、どのようなものですか。
白川 紛争地での活動の場合、病院と宿舎が同じ敷地の中にあることが多く、そこが私たちの生活の場となります。敷地から出る必要があるときは、イエメンのアウトリーチの例でお話ししたように、許可を得ることになります。住まいは1人1部屋が理想ですが、数人でシェアして、シャワーとトイレは共同ということも多いですね。
活動自体が始まったばかりで、まだ生活基盤が整っていないプロジェクトでは、自分が眠るマットの上だけがプライベートスペース、などという場合もあります。休日は基本的に週に1日ありますが、状況的に全く休めない事も多々あります。あまりに疲れてしまったときは休暇を申請すればもらえますし、倒れてしまっては元も子もないので、むしろそうすることが推奨されています。
――ストレスは溜まりませんか。
白川 任期が決まっているので、割と頑張れてしまうんです。それに、スタッフみんなでご飯を食べながらおしゃべりをするだけでも楽しいし、みんな何かしら楽しみを見つけて、上手にストレスを解消していると思います。私の場合は、ヨガと、シャンプーと石けんでしょうか。重くても必ず日本から持っていくんです。過酷な生活の中、せめてシャワーだけでもお気に入りの香りに包まれて癒されるような工夫をしています。
「国境なき医師団」看護師として、紛争地医療に生きる(後編)に続く。
国境なき医師団
Médecins Sans Frontières(仏)、略称MSF。
人種、宗教、信条、政治とは関係なく、貧困や紛争、天災などで生命の危機に瀕している人々に医療を届けることを目的とした、非営利の国際的な民間医療・人道援助団体。内戦状態にあったナイジェリアのビアフラに医療支援のため派遣されたフランスの医師と、ジャーナリストらによって1971年に設立された。その後、レバノン、ボスニア、エチオピア、アルメニア、北朝鮮、チェチェンなど、さまざまな国や地域、場面で活動を続けている。99年にはノーベル平和賞を受賞した。