家族も犠牲にしてなぜ、そこまで取材に没頭できたのだろうと考えた。それは特捜部の動きが時代を揺さぶる「震源地」そのものだったからだ。
自民党の一党支配が続いた時代、「最大の野党」とも形容された東京地検特捜部はロッキード事件で田中角栄元首相や全日空幹部らを受託収賄容疑で逮捕し、リクルート事件では藤波孝生元官房長官や公明党の代議士らを同罪で在宅起訴した。特捜部が疑獄に斬り込めば政局に激震が走る。リクルート事件では竹下内閣が吹っ飛んだ。東京佐川急便から金丸信自民党副総裁への5億円ヤミ献金事件では自民党が分裂し、細川護熙首相による連立政権が誕生。55年体制が終わる。
官邸の検察人事への介入
前置きが長くなった。ここで黒川氏の定年延長の問題を整理しておこう。黒川氏の半年間の定年延長を閣議決定したのは2020年1月31日。黒川氏の63歳の誕生日(2月8日)の直前だった。それより1カ月ほど前に法務・検察内部の動きが耳に入ってきた。
「東京高検検事長の人事案を官邸に蹴られたらしい」――。検察関係者からそんな情報に接したのは昨年12月下旬だった。法務省幹部が示したのは、東京高検の黒川弘務検事長が63歳の定年退職を迎える2月8日の前に辞職し、名古屋高検の林真琴検事長が横滑りする案だった。
黒川氏を検事総長に就任させるために、水面下で官邸は法務省幹部を通じて稲田伸夫検事総長に慣例の2年より半年以上早い勇退を促していた。稲田氏はこれを拒絶した。4月に京都で開かれる国連の犯罪防止刑事司法会議(コロナ禍で延期)を花道に勇退する意向を示したとされる。検察トップの人事を官邸の勝手にされてたまるかという反発もあったかもしれない。
法務・検察当局にとって検事総長の「本命」はずっと林氏だった。しかし、これまで林氏は2回、次官就任を官邸によって拒まれていた。次官レースは司法修習同期(35期)の黒川氏が先んじた。その1年半後、黒川氏を次官から高検検事長に転出させ、林氏を次官にする人事案も了承されず、18年1月の人事で林氏は名古屋高検検事長に異動した。昨年末、林氏を東京高検検事長に就ける3度目の人事案も官邸に蹴られ、黒川氏の定年退職の日も近づいてくる。法務省は八方ふさがりとなった。そこでひねり出されたのが国家公務員法を適用した定年延長だ。慌てて考えた弥縫策だけに穴だらけだった。森雅子法相が国会答弁で迷走を繰り返したのは、ご承知の通りだ。
そこまで官邸が検事総長にさせたかった黒川氏とは、どういう人物なのか。
法務・検察の幹部は「赤レンガ派」と呼ばれるごく少数のエリート法務官僚と大半を占める大多数の「現場捜査派」に大きく分けられる。国会対応をする法務官僚は、法務省や検察庁にかかわる法案や予算を通すために奔走する。衆参の法務委員会に所属する与野党の政治家や与野党幹部との関係は、自然と深まる。黒川氏は若い時に特捜部にも在籍したが、法務省勤務が大半を占める典型的な赤レンガ派だ。
政治家との窓口となる法務省秘書課長(1年半)をはじめ、大臣官房審議官(2年7カ月)大臣官房長(5年1カ月)、事務次官(2年4カ月)を歴任した。大臣官房長時代は「法務省の自席にいるより国会議員会館にいる時間の方が長い」(検察幹部)と言われた。大物議員の懐に入るのがうまく、「人たらし」という評をよく聞く。「庶民的で細かいことにこだわらない。憎めないところがあった」という評もあり、冷静沈着でクールな林氏とは対極的な存在だったようだ。記者の間での評判もよかった。法務・検察当局の「渉外担当」を自認、検事総長への野心はなかった、という声が根強い。同じような経歴を歩んだ法務・検察の幹部はいるが、ここまで政治との距離の近さが取りざたされた人は、後述する根来泰周氏ぐらいだろう。
国策不捜査
法案の撤回後、安倍首相は「定年延長は法務省が提案した話であり、官邸側はこれを了承したに過ぎない」と開き直った。事後的に了承したと言いたいのだろう。確かに、形式的には黒川氏の定年延長は法務省からの申し出だったことになる。しかし、そもそも黒川氏の検事総長就任にこだわり、稲田総長の勇退を迫ったのは官邸ではないか。法務省側が自分たちの重要ポストを減らすことになる黒川氏の定年延長を自ら持ち出す理由がない。
総長人事が既定路線を外れたことは、これまでも何度かある。金丸氏の略式起訴で批判を浴びた時、検察は信頼回復のために、ロッキード事件やリクルート事件を指揮した吉永祐介氏を大阪高検から呼び戻した。退官予定だった吉永氏は東京高検検事長、検事総長を歴任。ゼネコン汚職事件の指揮を執った。吉永氏は検事総長を予定より長く務め、やはり自民党経世会と近いとされた根来泰周・東京高検検事長(後に公正取引委員会委員、プロ野球機構コミッショナー)の総長就任を阻止して、現場派の土肥孝治氏にバトンタッチした。
2010年の大阪地検特捜部の主任検事が押収した証拠を改ざんした事件で大林宏検事総長が引責辞任をした際には、退官が決まっていた笠間治雄東京高検検事長が後任となった。笠間氏は東京地検特捜部長などを務めた現場派で、私大(中央大)卒で戦後初の総長になり、検察改革に尽力した。吉永氏、笠間氏の就任は自浄作用が働いたケースだった。
黒川氏が捜査現場の後輩検事に捜査に手心を加えるよう圧力を掛けた、という具体的な話があるわけではない。「法務省勤務が長いので検察現場には人脈がない」(検察幹部)という指摘もある。長く政界絡みの事件の摘発ができなかったのは、大阪地検特捜部の起こした前代未聞の不祥事の後遺症という面も大きいだろう。
しかし、黒川氏が法務省の要職に就いていた間、検察が政治家の絡む事件に積極的に動かなかったことは事実である。甘利明元経済再生相の金銭授受疑惑、小渕優子元経済産業相の政治資金規正法違反事件(元秘書2人が在宅起訴)などでは、事実を解明しようという熱意が伝わってこなかった。最初から立件しないことを決めているかのような印象すら受けた。民主党への政権交代の前後、なりふり構わず実力者の小沢一郎氏を追い詰めようとした当時の必死さはまるで感じられなかった。
第2次安倍政権の発足以降、直近のIR汚職事件を除けば、検察は政権が嫌がるような捜査はしてこなかった。黒川氏の検事総長就任は「国策不捜査」ともいえるような近年の状況を定着させ、自分たちへの疑惑の追及を避けるための、事実上の「指揮権発動」である、との指摘は決して的外れとは思えない。もし、定年延長の特例が昔あったら、ロッキード事件やリクルート事件の捜査を指揮した吉永祐介検事総長は対象者になり得ただろうか。答えは否だろう。政権中枢に及ぶ捜査に意欲を燃やす検事総長など、定年と同時に辞めてほしい存在だからだ。
司法取引と人質司法
政権が実現したい政策のために、中央省庁の次官や局長級の人事に口を出すことは必ずしも否定されることではない。役人が決めた人事は聖域ではない。しかし、検事総長は別格だ。行政官庁の法務省の次官ならともかく、検察は公訴権を独占する準司法機関である。そして、数々の政治家の汚職を摘発してきた。公正さが最も求められる捜査機関のトップ人事に、官邸が露骨に手を突っ込む意味は何か。「腐敗摘発はほどほどに」というメッセージだと国民が受け止めるのは当然だ。官庁の幹部人事に介入することによって。「霞が関支配」を進めた安倍政権の総仕上げが、黒川氏の検事総長就任だった。他官庁でも抵抗なくできたのだから、検察庁の人事も我々の自由にできるという思い上がりに、多くの国民は反感を覚えたのではないか。
黒川氏を検事総長に据えたいという政権の思惑には、検察を支配下に収めたいという願望が見える。ロッキード世代の検察OBは「朕は国家である」というルイ14世の言葉を引用して、安倍政権の姿勢を「中世の亡霊のような言葉をほうふつとさせるような姿勢であり、近代国家の基本理念である三権分立主義の否定にもつながりかねない」と危険性を指摘した。まったく同感だ。長期政権のおごりが、何をやっても許されるという万能感につながっていると思えてならない。辞職した黒川氏の後に東京高検検事長になった林真琴氏は記者会見で「検察官は政治と一定の距離を保つ必要がある」と語った。そんな当たり前のことを言わねばならない状況を生み出したのは官邸である。
政界疑獄の捜査にかかわってきた検察OBの反対意見が相次いで表明されたことも、世論を動かす大きな力となった。私がかつて取材した検察幹部も、多く名前を連ねていた。その勇気ある行動に敬意を表する。