ただ、少々ノスタルジックな思いも込めて語られる「検察の正義」は、そのまま受け止めるわけにはいかない。東京地検特捜部の栄光の陰には、供述を無理強いして事件化してきた負の歴史を直視すべきだからだ。
司法記者クラブではサブキャップ(1999年10月~2000年12月)、キャップ(07年9月~09年7月)も務めたが、検察の捜査手法の独善さに年々疑問を強く感じるようになった。あらかじめ描いた筋書きを押しつけて、自白を迫り、供述調書への署名、押印を迫る捜査手法はこれまでも多くの弁護士たちから問題視されていた。その傾向が一層強くなったように映った。捜査の職人集団だった特捜部はエリート集団になり、腰掛けでも在籍することが出世コースになっていた。その中でゆがんだ正義感、傲慢な世直し意識が醸成され、大阪地検特捜部の主任検事による証拠改ざんという驚くべき不祥事につながったように思える。
「過度の独自捜査優先の考え方は、誤ったエリート意識や傲慢さへとつながりかねない」と笠間治雄検事総長が反省の弁を述べているように、大阪地検特捜部の主任検事の個人の資質ではなく、特捜検察の長い歴史がつくり上げた構造的なものである。検察庁法改正案に反対の声を上げた検察OBの中には、「陸山会事件」などで強引な捜査指揮をした元幹部が何人か含まれており、あなたにその資格があるのかと問いたくなる人もいた。
従来、検察は選挙妨害と言われることを嫌い、国政選挙が視野に入っている時期、政界絡みの捜査に着手することには、抑制的な姿勢が伝統だった。しかし、2010年の小沢一郎民主党代表の資金管理団体「陸山会」をめぐる収支報告書の虚偽記載罪捜査は、政権交代が起こった衆院選挙が間近に迫るタイミングの異例の着手だった。しかも、捜査対象は政治資金収支報告書に記載された「表の金」だった。自民党の有力な議員に同じ容疑が浮上したら、検察首脳は逡巡せずにゴーサインを出しただろうか、と考えると、答えはノーだろう。官僚批判を強める民主党政権への警戒、検察という官僚機構の防衛本能が、無意識のうちに働いたような印象を受けた。
日産自動車の元会長カルロス・ゴーン氏の事件で注目された司法取引という新しく強力な武器を、検察は手に入れた。しかし、罪を認めるまで勾留を続けるという「人質司法」を手放さない強欲な捜査手法こそメディアは監視する役割がある。
「検察記者」「警察記者」は前時代の遺物
地方では、コロナ対策で防護服を着て取り調べをした検事や事務官もいるという。「黒川さんの辞職で現場の士気はがた落ちですよ」と知り合いの幹部が嘆く。緊急事態宣言下での賭け麻雀が発覚し、辞職に追い込まれた黒川氏の責任の重大さは言うまでもない。
一方で「週刊文春」の記事を読んで、黒川氏と賭け麻雀をしてきた記者を人ごとのように批判する気にはなれなかった。捜査当局の人間にとにかく食い込まなくては始まらないという価値観が、私の中に今も刷り込まれているのだろう。しかし、彼らの付き合い方は度を超えていた。明らかに取材活動の域を超えている。取材先の懐に入り込むことと癒着は違う。それが取材の一環であるというなら、官邸の人事介入について黒川氏から聞いたことを記事にしてもらいたい。
私の体験を振り返ると、検事の帰りを夜中まで何時間もひたすら待つこと自体が目的になっていた。目的と手段が逆転していた。振り返ると実に無駄な時間だったと言い切れる。「千日夜回り」と呼ばれ恐れられていた他社の記者を当時は「すごい人だ」と尊敬していたが、今ではそうは思わない。
記者に求められているのは、「当局が発表すること」を「早く書く」ことではない。本当のスクープとは自分たちが書かなければ埋もれてしまう権力の犯罪や政官財の癒着を、自らの手で調べて書くことだ。そのために記者クラブが役に立つなら利用すればいい。捜査関係者と飲食を共にすることも意味があるだろう。とにかく検事や警察官に食い込み、ずぶずぶの関係を作ることに価値を見いだす前時代的な「検察記者」「警察記者」は、もはや淘汰されるべき前時代の遺物だ。若い世代の記者には本当の「事件記者」を目指してほしい。取材相手と癒着することをよしとする大手メディアの文化が、女性記者の活躍の場を狭め、取材対象からのセクハラにも声を上げにくい土壌を育てたことを忘れてはならない。
ネット時代のメディアのあり方としても、その記者しか書けない独自性の高い記事を出していかないと読者に見放されると私は感じている。役所の発表記事は通信社に任せて、オリジナルの調査報道に人員を充てればいい。記者クラブ制度や番記者のあり方も含め、政治部や社会部を問わず、取材そのものも根本から見直さなければならない時期に来ていることを、検事長辞任は鋭く突きつけている。