こうしたお互いのバックグラウンドに対して、知ることや想像すること、共感することなしには、お互いに敵視するだけとなってしまいます。
戦後日本の平和教育をイラクで
そこで私は、戦後の日本の平和教育を取り入れ、イラクで世代を超えて受け継がれてきた「報復の連鎖」を断ち切るための新しい平和教育を構築するプロジェクト「PCP(ピースセルプロジェクト=「平和細胞プロジェクト」)」を始めました。
具体的には、以下のことを目指しています。
・さまざまなプログラムを通して、読書の習慣、表現力、共感力を身につける。地球環境や人権に対する意識の向上、平和に対する学びを高めていく。
・将来的には、公立の学校のカリキュラムに「平和学習」を取り入れることを目標とする。
イラク国内でも最大数の国内避難民を受け入れ、戦争の犠牲者や元少年兵などを多数抱えるドホークを起点として、各地へ広めようとしています。PCPのアイディアは二つのきっかけから生まれました。
一つは、IS危機によってクルド人自治区にイラク国外から国連やNGO、報道関係者が大勢来たことによる社会の変化です。以前、私は宗派や民族による分断の深さを埋められる自信はありませんでした。ところが現在、若者たちは、アシスタントやコーディネーター、通訳などとして、国外からの人道支援、報道関係者と一緒に働く中で人権意識を学んでいます。実際にアラブ地域に行って、「アラブ人の被害も大きいことを初めて知った」という人もいました。そうした中で、現地のクルド人の若者が「避難民の受け入れは大変だけど、ダイバシティー(多様性)を手に入れたことはよかった」「お互いを認め合える社会をつくりたい。それが今一番やりたいことだ」と言ったことに、私は心の底から驚きました。若者たちの意識が変わりつつある今なら、平和教育のプロジェクトができるのではないか、と思うようになったのです。
もう一つのきっかけは、日本への一時帰国中、講演に訪れた福島県の高校での演劇を観たことです。演劇の脚本は、生徒たちが1年かけて原発事故について調べ、フィールドワークを行い、原発関係者、帰宅困難区域の役所の人たち、町長、経済産業省や東電の人など、いろいろな立場の人々にインタビューをして書かれたものでした。
その内容は、中間貯蔵施設や帰宅困難地域など、大人だったら避けるような“タブー”な話ばかり。それを生徒たちが迫真の演技で伝えている。若者たちが福島県の地域課題に真っ向から向き合っていることに、私は感動して涙がとまりませんでした。
これを、イラクでもやりたい! そう思って、演劇ワークショップをやっている人たちに声をかけ、PCPの活動を始めました。
絵本で感性の基礎体力を鍛える
仲間と話し合って、最初にやることにしたのが、絵本の読み聞かせです。演劇ワークショップを行うにしても、異なる民族や宗教、社会課題に向き合えるように、想像力や共感力といった感性の「基礎体力」を鍛えないと、十分な効果を得られないからです。
イラクでは、子どもたちの情操教育が軽視されているという課題があります。古代メソポタミア文明の発祥の地であるイラクは、文化レベル自体は高く、首都バグダッドには本屋街もあるのですが、そもそも読書は高学歴の大人の習慣であり、子ども向けの本は宗教としつけだけで、「物語」がないのです。読み聞かせ文化もありません。だから、まず、西ドホーク教育委員会の委員長、カウンターパートのNGOの代表や少年院の所長を日本に招聘(しょうへい)して、小学校の演劇ワークショップ、高校の平和教育、東京都日野市の移動図書館や、多摩少年院での更生プログラムなどを視察してもらいました。教育委員長のオマルさんは紙芝居に感激して、帰国後、自作するほどでした。
私たちは、毎週水曜の夜に公園で紙芝居を始めました。ドホークでは、猛暑が厳しい昼を避け、夜に人々が公園に集まってくるのです。初めのうちは、大人も子どもも「なんだなんだ?」という感じでしたが、すぐに毎週紙芝居が始まるのを楽しみに待っていてくれるようになりました。最近は、セリフのない少し高度な紙芝居もやっています。これはお客さんの反応を見ながら、セリフを自分で考えるというものです。
自分の家から友だちの家に行く途中、いろいろな人に会って会話を交わす『こんにちは』という作品があり、これを読んだ現地の子どもが「この紙芝居を自分でやりたい」と言いました。その子は自分でお客を集めて、紙芝居を読み始めたのです。セリフのない部分では、見ている子どもたちに「絵と同じように走って」と呼びかけて、その場にいた子どもたちを走らせる工夫をしていました。
現地の学校でも、読み聞かせのワークショップをやっています。例えば、あえて絵本の日本語で読んでみると「知らない言語で何を言っているんだろう」と子どもたちがすごく集中して、一生懸命どんな内容なのかを想像したりします。