ICRPは福島で何をしてきたか
2011年11月、福島県庁において一つの試みがスタートした。発起人はICRP。「協力・援助」に名を連ねているのは、福島県、福島医科大学、放射線安全フォーラム、フランス放射線防護・核安全研究所、ノルウェー放射線防護局、フランス原子力安全局、経済協力開発機構・放射線防護公衆衛生委員会。これら専門家と住民が「対話=ダイアログ」をしていくという催しである。これが、2015年末まで12回にわたって開催された第1回「ダイアログセミナー」だった。
冒頭に挨拶を行ったのは、フランスの経済学者でICRP委員のジャック・ロシャールと、当時の伊達市アドバイザー、田中俊一だ。田中は伊達市の放射線行政を主導し、後に原子力規制委員会の初代委員長となる人物である。
ロシャールは、ベラルーシで住民主体の放射線防護活動「エートス」を指導した人物だ。エートスとは、チェルノブイリ事故後のベラルーシでICRPが始めた運動だが、2020年3月まで原子力規制庁技術参与を務めた松田文夫は、著書『ICRP勧告批判』(2022年、吉岡書店)の中で、エートスについて以下のような見方を示している。
「被災者の自主性と自己努力感情を強要することで、汚染地域に居住を強制し、被曝を強制し、ひいては国と事業者の賠償・補償コストを削減し、事故の責任を曖昧にし、原発推進を担うものと言える」
ダイアログセミナーは、まさに福島の地における「エートス」の展開と言えるだろう。事実、12回に及んだダイアログセミナーの中に、国や原発の責任を問うという開催テーマはない。
ダイアログセミナーは、2016年以降は「福島ダイアログ」と名を変え、帰還困難区域の問題にシフトしていく。またダイアログセミナーが作り出した市民運動は、2019年には「NPO法人福島ダイアログ」を結成し、その後も福島ダイアログを開催している。
直近の勧告「PUB146」を読み込む
2020年12月、ICRPは福島原発事故を踏まえ、2020年勧告「PUB146」を発表した。
ロシアのウクライナ侵攻以後、原子力発電所が攻撃のターゲットとされ、次の大規模原子力災害がより深刻に身近なものとして感じざるを得ない。もし次の災害が起きれば、私たちは「PUB146」に基づき行動させられることになるだろう。
だからこそ、私たちは「PUB146」を知り、ICRP=原子力推進派が到達した福島原発事故に対する総括と、次の事故への布石を直視しなければならない。
「PUB146」中、特徴的なキーワードがあった。「共同専門知」、そして「放射線防護文化」だ。どちらも耳慣れない言葉である。
「共同専門知」とは、「PUB146」によれば、「専門家、専門職及び地域のステークホルダー」の間で、「地域的な知識と科学的専門知識を共有すること」であるという。そのプロセスの「最初のステップ」は「事故の影響を受けたコミュニティの人々のグループとダイアローグを確立」することだと記されていることから、ダイアログセミナーは共同専門知の第一歩であると言えるだろう。「PUB146」には別途、「福島でのICRPダイアログイニシアチブ」という章も設けられており、ICRPがいかにダイアログを重視しているかがわかる。
そして、共同専門知は「放射線防護文化」の発展に寄与するのだという。
「共同専門知のプロセスは、放射線に被曝した個人やコミュニティに自分自身を守る力を与え、原子力事故の結果を直視するために必要な実用的な放射線防護文化を発展させるのに効果的である。委員会は、この文化を、市民が十分な情報に基づいて選択を行い、電離放射線への潜在的または実際の被ばくを伴う状況で賢明に行動することを可能にする知識とスキルとして定義している」(松田、上掲書における「PUB146」より。下線筆者)
いやしくも「科学」に立脚する団体が、まさか「文化」を持ち出してくるとは……。この「放射線防護文化」について、前述の松田は次のように解釈したうえで、「PUB146」そのものを切り捨てている。
「『放射線防護文化』とは個人が自らを防護するための実用的な知識とスキルのことである。つまり、被ばくを個人の責任に押し付け、被ばくをさせた事業者や当局の責任を個人に転嫁する考え方である」(上掲書)
「PUB146は、文化という心地良い言葉で表面を繕ってその裏側にある悪意を隠し、汚染地域の被災者に被ばくを受忍する生き方を説いた偽の伝導の書である」(同)
つまるところ、「避難や除染には大金がかかる。放射線から身を守る知識を『文化』として広め、住民たちには自力で被曝を軽減してもらえばいい」――これが福島第一原発事故からICRPが得た、次の大規模な原子力事故に向けての最大の「学び」なのだ。
「PUB146」を読み込めば、ICRPの意図がしっかりと書かれているのがわかる。次に原子力関連の災厄が起きた時には、住民の健康よりも経済活動を優先させる従来の方針からさらに一歩踏み込んで、被災住民を自らの意志で、被災地に止まらせるつもりなのだ。その布石として平常時から、住民にそうした行動をとらせるための知識、すなわち「放射線防護文化」を、ICRP(専門家)と住民が一体となって醸成していこうとしている。その試みは実際に今、「福島ダイアログ」として進行しているのだ。
(*1)
松田文夫『ICRP勧告批判』(2022年、吉岡書店)P11
(*2)
中川保雄『放射線被曝の歴史』(2011年、明石書店)P123
(*3)
中川保雄『放射線被曝の歴史』P154
(*4)
松田文夫『ICRP勧告批判』P13
(*5)
松田文夫『ICRP勧告批判』P14