加害者心理①――「加害の軽視、正当化または無化」
「月曜は3歳下の弟と出社しました。彼は高校卒業してすぐ就職したので、私より社会人経験が長かったし、家庭の問題もふたりで一緒に悩んできたので、頼りにしていたんです。日曜の夜に電話し、一緒に編集長と面談してほしいと相談したところ、始発で飛んできてくれました」
性被害に遭った認識はないながらも、「たいへんなことが起きた」ことを編集長に報せなければならないと考え、話し合いの場を求めた。そこで編集長が告げたのは、予想もしていないことだった。
「『Aを辞めさせるから、君が彼の仕事を引き継ぎなさい』と言うんです。Aがいなくなれば編集部が回らないことは私もわかっていました。編集長も『縁故入社じゃなければ、君に辞めてもらっていた』とはっきり言いましたね。弟は、私が子どものころから編集の仕事をしたがっていたのを知っているので、『姉貴やるしかないよ』と背中を押してきました」
編集長も、Aによる性暴力事件が発生したのだとわからないわけはなかっただろう。なのに、そのことは一瞬にして脇におかれてしまった。被害者であるにのみやさんが気遣われることはなく、Aの責任は追及されない。肝心のことには誰も触れないまま、どちらが辞める辞めないの話をするのは、何かが大きくズレている。
その結果、加害者の仕事を被害者が引き継ぐという、無茶苦茶な状況が発生した。入社して1年にもならない新人が、周囲からも仕事がデキると認められているベテランの仕事を引き継ぐのも、無理がある。
セクハラ防止措置として、企業に相談窓口の設置が義務づけられることが決まったのは2007年のこと。それよりも前の出来事だった。ほかに相談できる先もなく、にのみやさんは編集長の決定に従うしかなかった。
引き継ぎの作業をするなかで、こんな会話が交わされた。
A「にのみやさん、僕のこと編集長に言った?」
にのみや「……言いました」
A「ああ、だから急に辞めさせられることになったのか。にのみやさんは、言わないと思っていたのになぁ」
にのみや「……」
A「にのみやさんが僕と結婚すれば、全部なかったことになるけど、どう? そうすれば君もハッピーだし、僕もハッピーでしょ」
にのみやさんは、あまりのことにぽかんとしてしまった。頭のなかが真っ白になった。怒りや悲しみすら浮かんでこない。Aが何を言っているのか、まったく理解できなかった。
なぜAは「にのみやさんは、言わないと思っていた」のか。数カ月のあいだ一緒に仕事をしてきた。遅くまでふたりきりで会社に残ることもあった。ふたりで外回りをすることもあった。上司と部下であっても雑談ぐらいはする。家族が不和で、実家とは距離をおきたいこと。ひとり暮らしをしていくためにも仕事は辞められないこと。口利きをした父親の存在も大きいことなどを、にのみやさんは話していた。
にのみやさんが、Aの言動の裏にあるものに気づいたのは、被害から10年近くが経ってからだった。
「だから、何をしてもにのみやは辞めない。自分が手を出しても、泣き寝入りするはず……とAは思っていたんでしょうね。たしかに辞めようにも、就職自体がとても厳しい時代でした。転職できるだけのスキルもまだ身についていない。Aが私という人間を低く見て、たかをくくっていたということでしょう」
上司と部下、というだけでなく、まだ仕事をひとりで任せられない新人という立場に加え、家庭の事情、経済事情など、にのみやさんの弱みを把握することは、Aにとっては造作もないことだっただろう。先の会話で、にのみやさんは「自分は無力なのだ」と思い知らされた。
罠から檻へ――「逆らえなくする」
「Aは会社を辞めたくないから、引き継ぎもわざとゆっくりするんです。私は私でPTSD(心的外傷後ストレス障害)の症状があらわれるようになって、何も頭に入ってこないから、やはりスムーズに引き継げない。3カ月後ぐらいにやっと、Aは退職しました。そのあとも、Aしか把握していないことが出てくると、編集長は『にのみや、Aに電話して聞いてこい』と言うんです。Aに連絡すると呼び出され、そのたびに引き継ぎと引き換えに関係を強要され、性被害に遭いました」
アリジゴクの巣に一度足を取られれば、そこから抜け出せない。立っているだけでずぶずぶと沈んでいく。
エントラップメント型の性暴力は、司法で「犯罪」と認定されにくい。業務上の必要があり、職を失う恐れもあったからだが、にのみやさんは自分からAに連絡し、自分の足でAの指定する場所に向かっている。そこに、認定のむずかしさがある。
齋藤梓さんは、これは典型的なケースだという。
「力関係の上下を利用したエントラップメント型性暴力は、最初は明らかに性被害なのですが、その後も被害者が加害者と会うことに同意したり、みずから連絡をとって加害者のもとに出向いたりして、そこでまた性被害に遭うのが、ひとつの典型です。それが長期にわたることもあって、私たちがインタビュー調査をしたなかでも年単位で被害が継続した女性がいました」
にのみやさんは後に、この出版社の責任を問い、民事裁判で争うことを決めた。しかし、出版社側の代理人弁護士から「関係が数カ月にわたり、性行為も複数回あったのだから、これは恋愛関係だったのではないか」と言われた。自身が依頼した弁護士からも同様のことを言われ、心が折れた。
加害者に連絡をとりたくてとっているわけではない、会いたくて会いに行っているわけではない。そこに行けば被害に遭うとわかっているのに、「そうしなければならない」と思い込んでしまう。ここからも、被害者が罠に囚われていることがよくわかる。
そこに行ったのは被害者自身なのだから、被害者に責任があるのではないか、と考える人もいるかもしれない。エントラップメント型と思われる性暴力事件が報じられると、それを理由に「これは性被害ではない」とする言説がネット、特にSNSで飛び交うのは、悲しいかな見慣れた光景になっている。そうした投稿をする人たちには、自分が「セカンドレイプ(二次加害)」をしている自覚もない。
加害者心理②――「力関係に無自覚」
では、その元凶をつくった加害者――Aの立場にいる人には、自覚があるのだろうか。齋藤さんは、被害当事者らの話をとおして見えてきた加害者像を、次のように分析する。
「さまざまな事案を見ていると、加害者は、自分が相手を罠にかけているとか性加害をしているとかいったことを、あまり意識していないように思えます。もちろん、最初から自分より弱い立場にいる相手に迫って、押し切って、同意のないまま性行為をしようとする加害者もいますが、たいていの人は犯罪を起こそうとは思っていない。当然のことですが、相手に対して『性的な関係を結びたい』と思っただけでは犯罪にはなりません。一方で彼らは、相手に性的な接触を受け入れさせるには、上下関係を利用するのが効果的だと知っているように見えます」
加害者となる人たちは、見るからに“悪人”というわけではない。最初から「無理やり性的関係に持ち込もう」というのがあきらかならば、周囲も警戒するだろう。実際には逆で、頼れる人、いい人として一目置かれていることも多く、被害者も尊敬や好意、場合によってはほのかな恋愛感情を抱いていることもある。
「それでも、力関係ははっきりしていますよね。なのに、自分が持っているパワーに無自覚というのが、加害者となる人たちにある程度共通する特徴だと思います。一方は相手にとって自分がどれだけ影響力があるかがわかっていないけど、もう一方は従わなければならないと感じている――こうした関係性は、性暴力以外の場面でもよく見られます。問題だなと思うのは、職場の上司として業務上の指示や命令を下す立場であることは自覚していても、性関係になったときにもそのパワーが反映されていることに気づいていない場合です」(齋藤さん)
出張先で業務が終わった後や、仕事を離れての飲み会の席で、上司の側は立場を離れ一個人として口説いているつもりになっている。部下の側は立場を離れることなどできず、断ったら日常の仕事や評価に響くのではないかと怯えている。断りたくても明確には断れず、しかし同意はないまま、性行為へと押し切られる。
「エントラップメント型性暴力では、関係性のなかで被害者側の抵抗が抑圧されていく過程があります。NOを言いにくい状況に追い込まれたり、NOが通じずに無力感を覚えたりする過程です。被害後も抵抗が抑圧される状況はつづいていて、被害者が加害者におもねる言動をすることがあるため、犯罪と認定されにくい場合があります。だからこそ、性暴力事件を扱う人たちには、事件が発生する“前”のことを見てほしいと思っています。両者がどのような力関係にあったか、どのように逃げ道を塞がれたか、ということです」(齋藤さん)
