被害後の苦しみ
にのみやさんのPTSDが悪化したことで、Aからの連絡は途絶えた。「支離滅裂、だったそうです」と本人が言うのは、あとから聞いた話だからだ。自身は毎日出社し、仕事をしているつもりでもミスを連発し、職場のアルバイトからも「大丈夫ですか?」と日に何度も聞かれるぐらい、何もかもがめちゃくちゃだった。
その後、にのみやさんは友人に頼み、病院を予約してもらう。それすら自分でできない状態にまで追い詰められていた。幸いにも、性暴力についての見識がある医師に出会い、治療につながるが、当時のにのみやさんは、その後何十年と被害の影響がつづくとは思っていなかっただろう。
結局、出版社には自分から辞表を出した。自分でも限界を感じていたが、ドクターストップが出たのも理由のひとつだった。Aからの被害がなければ、その被害がつづかなければ、長く勤められたかもしれない会社だった。
出版社を辞め、その後の仕事もPTSDを抱えながらではむずかしかったことから、どれも長つづきせず、借金を抱えていた時期もある。いまも腕に無数に走るリストカット痕が生々しく、最初の被害に遭った1月になると心身の調子が大きく崩れる。ある年は、階段を降りている最中に解離が起きて、そのまま転げ落ちケガを負った。
エントラップメント型性暴力の被害者が生きる“その後”については、また稿をあらためたい。
写真家としてのにのみやさんには、「二十代の群像」と題したシリーズがある。文字どおり、20代の若者を被写体として写し取ったシリーズだが、にのみやさん自身の20代は、Aからの被害によって失われたも同然だった。
「撮影では、これから社会に出ていく20代の若者とたくさん話をしました。『就職、決まったんです』と言ってくれることもあって、私のなかでは応援したい気持ちと、私と同じような目に遭っちゃったらどうしようという不安とがあって、切なくなる。社会には罠があるから気をつけなさい、と忠告するのも違う気がするし」
ただ仕事をしていただけだった。スキルを身につけてステップアップしたいと思っていた。そんな職場に罠がある。「ここにはない」と言い切れる職場は、この社会にないのではないのだろうか。
