「アメリカではアファーマティブアクション(積極的差別是正措置。人種や性別による格差を是正すること)があり、ドイツでは、例えば政党の候補者名簿ではクォータ制(割当制)がほぼ慣例になっていて、左派系の政党では男女同数、あるいはそれに近い割合です。党首が二人いて男性と女性の組み合わせの政党も多い。性別の自己決定の権利も尊重されます。そういう社会であり、政権交代もあって左派政党も権力を取ることがあるので、ヨーロッパにいると『リベラルは権力者の側にいる』と言われても、あながち誇張とも言えないわけです」
そんなヨーロッパと比較して、日本は「全然リベラル化していない」と板橋さん。言われてみればその通りで、選択的夫婦別姓すら実現しておらず、ジェンダーギャップ指数は世界118位、政治の中枢にいるのは男性ばかりで、女性の非正規雇用率は男性と比較して断然高い。
「全然リベラル化しきってないのに、どうしてこんなに日本で反リベラルが増えているのか不思議です。だって医学部受験で男性を優遇するため女性を一律減点するような操作がまかり通ってきた社会でアンチリベラルっておかしくないですか。でも、日本はリベラル化していない時期にアンチリベラル、トランプの言説が入ってきてしまった。言説のグローバル化です」
そうしてリベラルが強いわけでもないのにリベラルが忌避され、実態のない外国人問題が不安を煽るということが起きているわけである。
さて、ドイツと言えばナチの暗い歴史だ。その反省からドイツでは戦後、ナチっぽいものの台頭を制度で防いできたという。
「ドイツでは連邦議会選挙や州議会選挙では得票率が5%以上でないと議席を獲得できませんし、自由で民主的でない政党は憲法裁判所が禁じてきました。よってネオナチ政党は解散させられたこともあるんですけど、今はそれを超えるものが出てきてしまったという感じですね」
一方、ナチと似た言葉を使うと「民衆扇動罪」という罪で刑法犯になるという現実もある。SNSでも同様だ。が、最近はそれをうまくかわすような言説も増えてきたという。例えば外国人に対し「帰れ」「出ていけ」ではなく「再移住」という言葉が使われる。
「あとよく言われるのは、『男尊女卑な人はドイツに適合しない』。要はイスラム批判です。イスラムは反リベラルだから出ていけと、極右が言う。これはオランダの極右も使う言説です」
なんだかいろいろ入れ子構造になっていて、差別のためにそんなに頭を使うのなら他のことに使った方がいいのでは? と思ってしまう。
このように、ヨーロッパを多く知っている板橋さんだが、難民危機以降、「この国はこんなふうに排外主義を乗り越えた」「共生を実現している」というモデルはないかと問うと、やはり「ないですね」という返事。
「昔はオランダがよかったって言われてたんですけどね、適度な無関心で」
思えば23年まで、日本のクルド人も適度な無関心の中、今よりずっと平穏に暮らしていた。
「あと、カナダはそこまでひどくないと言います。もともと移民国家ですからね」
しかし、それ以外ではなかなか見えてこないロールモデル。もちろん、共生のために奮闘している民間団体などはどの国にも存在する。しかし、移民・難民問題を抱えるあらゆる国で、極右勢力が台頭しているという現実がある。
ナチにも詳しい板橋さんは、「排外主義はひとつ許すとどんどん来る」と指摘する。
「『普通のドイツ人』を決めるのはナチでした。彼らの線引きで決めるので、ユダヤ人にはじまり、シンティ・ロマ(「ジプシー」)もダメだし、障害者もダメ。同性愛者もダメ。ナチは『民族共同体』というスローガンを掲げるのですが、その『共同体』の構成員は政権が決めるんです」
そんなことを許してしまったら、あっという間に「普通の〇〇人」の条件は「健全な〇〇人」から「国を愛する〇〇人」「国のために命を捧げる〇〇人」へと拡大されるだろう。
日本はまだ引き返せる
そのような排外主義の拡大を示すある文章を、板橋さんは紹介してくれた。
それは『世界』25年11月号に掲載された同志社大学・森千香子教授の「拡大する『内なる敵』のレッテル 排外主義のメカニズム」という論文だ。これを読むと、フランスの排外主義が移民だけでなく、高齢者やその他の弱者にまで向かいつつあることがよくわかる。
それを象徴するのは「払っているのはニコラ」というネットミーム。
架空の「普通のフランス人・ニコラ」(30歳男性)が、高い税金や社会保障費に頭を抱えているというミームが拡散され、メディアだけでなく国会でまで取り上げられたという。
ニコラを苦しめている存在として示唆されるのが、「働かず、生活保護などで得た金を出身国に送ったりする移民の若者」。
ニコラを苦しめるのは移民だけではない。もうひとつ示唆されるのが高齢のカップル。プールサイドチェアに腰掛け、グラスを片手にクルーズ船旅行も楽しむような高齢者だ。
「移民の若者」だけでなく、「優雅な生活を送る高齢者」も現役世代を苦しめている――そんなことが、ミームからは伝わってくるという。
このような高齢者バッシング、日本でもすでに起きている現象だ。
「税金を食い潰す」「制度にただ乗りする」「今ある制度で他の人より得をしている」――。
外国人問題が出てくる以前、そんなバッシングの的となっていたのは生活保護利用者であり高齢者であり障害者だった。
その線引きは簡単にずれ、拡大されていくだろう。
なんだか絶望的な話ばかりだが、板橋さんは「日本はまだ間に合う」と口にする。
「これも森先生の論考で知ったのですが、フランスの農村なんかだと、国民連合の支持者ばかりで、そうじゃなきゃハブられたりするコミュニティもあるようです。また、旧東ドイツでもそういう地域が少しずつできているらしく、そうなると、ファクトチェックすること自体が勇気のいる行為になってしまう。例えば街にひとつしかないパン屋さんが極右支持だと、とても批判なんかできない。そうなると悪循環で、リベラルな人も外国人も住まなくなって、若い女性はこんなところにいられないとベルリンに出ていって、高齢男性ばかりになってしまう」
この国の未来予想図にも重なる光景ではないか。では、どうやって間に合うようにすればいいのか。
「排外主義に関してはモデルなき時代ですが、ヨーロッパを見ていると、日本はまだ引き返せると思いますね。意見が違う人とも、まだ対話できる。ここでこそ、日本のナショナリズムを発揮してもらいたいと思います。あと、長期的には経済問題だと思います。格差があるとその原因を外国人に求めてしまうので、相対的なマジョリティが平等だと感じている社会じゃないと難しいと思います」
政治家が煽らないことも重要だ。現在、一部の政治家はもっとも解決すべき問題から人の目を逸らさせ、ガス抜きさせて、自分が何かやってる感を出すために外国人をスケープゴートにしている。そんなのって、最悪じゃないか。
「まさにそうです。けど、ドイツの政治家には、権力を得るためにその最後の手段を使っている人が大勢います」
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かなり暗い気分になってしまったので、最後に、希望の芽もあるということを書いておきたい。
25年2月の選挙では「ドイツのための選択肢」(AfD)が躍進したことばかりが注目されているが、実は「左翼党」もかなり票を伸ばしているのだ。議席は39議席から64議席となり、得票率も4.9%から8.8%に跳ね上がった。
