そんな議論を見ながら、思った。忘れていたけど、私は30年近く前に右翼団体にいた身。今は「左派」と分類されることも多い私がなぜ右翼に入り、どうやってそこから脱したのか。また秦さんがなぜネトウヨになり、やはりどうやって抜けたのか。それを語り合うことで、「この二人にしか奏でられないマリアージュ」が生まれるのではないか。それは今、陰謀論にハマっている人や周りの人に、大きなヒントを与えるものになるのではないか。
ということで、秦さんに話を聞いた。

秦正樹氏
■「日本人をネトウヨに」を研究した院生時代
秦さんがネトウヨになったきっかけは、2008年の官僚バッシングだったという。
「大学3回生の時、先生が“居酒屋タクシー”の話をしたんです。官僚が深夜残業のあとタクシーで帰宅する際に、車内で缶ビールなどの無償サービスが行われていることが発覚し、当時かなり批判されていたんですが、先生は『問題は官僚が終電後まで働かなければいけない構造で、メディアの批判はズレている』と言ったんです。これ自体は真っ当な指摘ですが、当時の私は曲解してしまって、それを聞いた時、マスコミは真実を伝えていない!って思ったことがきっかけでした」
時は福田政権から麻生政権に変わる頃。メディアでは連日のように麻生氏のバー通いや「カップラーメンの値段を知らない」ことなどが報じられていた。
「なぜメディアはこれほど麻生さんを叩くんだろう?」。そう思った秦さんがネット検索すると、ネット上には「麻生閣下を守れ!」「麻生安倍中川(昭一)こそ真の愛国者」「朝鮮反日マスゴミ」などの記事や動画が溢れていたという。以降、当時流行っていたニコニコ動画で「反日マスゴミVS愛国麻生」などの動画を見るようになり、関西ローカルの保守派が多く出演していたテレビ番組『たかじんのそこまで言って委員会』も食い入るように鑑賞し信じ込んでいた。
この頃、あらゆるネトウヨコンテンツで唱えられていたのは「マスゴミの上層部や芸能界は在日朝鮮人が支配しているからテレビは反日」説。
「自分は日本が危機であることを何も知らなかったのだ、大人や社会に騙されていたのだ」と衝撃を受けた秦さんは、“反日ミンス”(反日民主党という意味のネットスラング)に日本を壊される前に何かしなければ、といてもたってもいられずSNSサービスmixiで繋がった保守系団体の活動に参加するように。以降、毎週のように「正しい歴史」を学ぶ勉強会に参加するなど積極的な活動を始める。保守系の作家・竹田恒泰氏が講師をつとめる勉強会に参加することもあった。
そうしてネトウヨになった翌年の09年夏、民主党への政権交代が起きる。秦さんは当時、鳩山由紀夫首相を中国・韓国のスパイと信じていたというから筋金入りだ。
「それこそ陰謀論ですけど、それが真の世界だと思っていました」
そろそろ就職のことを考えなければいけない時期だったが、「日本が潰れる危機だから就職どころじゃない」と大学院に進むことに。その理由も「将来、『WiLL』などの保守系雑誌のライターや保守系新聞の記者になりたいから」。
「“反日ミンス”から日本を取り戻して、日本を立て直すんだと思ってました」
ちなみに1988年生まれの秦さんの世代だと、小林よしのりの『戦争論』(幻冬舎、1998年)はおろか『マンガ嫌韓流』(晋遊舎、2005年)も読んでおらず、情報を得るのはほとんどオンラインからだったというから隔世の感がある。
そんな秦さんが当初大学院でやろうとした研究は、「日本人をどうすればネトウヨにできるのか」だったという。
「日本人全員がネトウヨの思想を持てば日本は良くなるという前提のもと、ネット右翼がどういうメカニズムで日本を救うかというテーマです。仮説のひとつがマスメディアに対する補助金を全部カットして、全員がオンラインから情報を得ることにする」
ちょっと待って! 本当に、まごうことなきネトウヨ!!
が、大学院の世界はネトウヨには甘くなかった。
「論文千本ノックって言って、修士1年目の間に国際的なトップジャーナルに掲載されたアカデミックな英語論文を千本以上読まされたんです。また、実証政治学の研究には量的研究と質的研究があるんですが、僕が選んだ量的研究では、データを使って統計学的にいかに推論するかが勝負です。数学もやらなきゃいけないし、プログラミングもやらなきゃいけない。いかに客観性を担保するかが大事だと教え込まれました」
そんな環境が強烈な「脱ネトウヨ矯正ギプス」となった。
「正当なロジックにもとづく理屈があればデータはきちんと答えてくれるけど、理屈がない思い込みにはいくら頑張っても結果が出ない。自分が思ってることとパソコンが出してくる客観的な結果が合わない日が何カ月も続くと、さすがの僕も自分の方がおかしいのかと思い出して……」
脱ネトウヨのあり方として、非常にレアなケースである。立てた問いがそもそも学問的に成立しないことが証明されてしまったのだ。
「大学院1年目の終わり頃、自分の思想とか関係なく、『多くの日本人をどうすればネトウヨにできるのか』というのはそもそも問いとして成立していないと気づきました」
そして研究テーマは「いかにメディアは有権者の政治への信頼を下げるか」に。おお、かなりの成長ではないか。人って変わるものである。
秦さんの変化には、大学院仲間の「いじり」も効いたようだ。
「いじられるっていうか、僕の思想が面白ネタにされてたんですよ。飲み会の場で政治的な話題になったりした時、『やっぱ秦的には原因は“反日ミンス”なん? 全部そうなん?』って。実証政治学の研究では因果関係を推論することがすごく大事なんです。原因は何かを突き止めることが大事で、みんな飲み会とかでも独立変数とか従属変数とかフォーマルモデルではとかパラメータ増やしたらとかそんな話をしてる時に、『いいよな秦は。原因は全部“反日ミンス”ですむんだもんな』って言われたりして…」
最初の頃はそんないじりに本気で腹を立てていたというものの、大学院に入って1年半くらいの頃、「自分の言ってること、理屈がおかしいってことに、じわじわ気づいてきて……」。
その時、めちゃくちゃ恥ずかしくなかったですか?
「めっちゃ恥ずかしかった!」
そうして秦さんのネトウヨ時代は終わりを迎えたのだった。