星子の母親はよく「私が死んだら星子は死ぬわよ」と言うんですね。これは、自分と星子の濃密な関係はそこで終わるということ。そして同時に、その後にはちゃんとまた違う人と星子との関係が生まれてくるんだ、ということでもあると思っています。「私が死んでも、私と同じように星子のそばにいてくれる人が必ず出てくる」ということですね。
ここにあるのは、「人」に対する自明の信頼です。何よりも大事なのは人を信頼することだし、それがなければ人は暮らしていけません。先ほど、制度の話をしましたけれど、いくら制度をつくっても、人への信頼がなければ制度自体がマイナスに働いてしまう。理佐さんがおっしゃっているのも、そういうことだと思います。
さらに言えば、「私が死んだら星子は死ぬ」というのは、「自分が死んだ後のことを考えるのはやめよう」という意味でもあります。「私が死んだ後」のことを心配して、「星子のために」とあれこれ準備したとしても、それがどれだけ万全の準備になるかはわかりません。星子にはまったく意に沿わない、役に立たないものになってしまうかもしれませんよね。だから、「私が死んだ後」のことは考えない。星子の母親の「私が死んだら星子は死ぬ」という言葉には、そういう思いも含まれているんだと思っています。
西村 なるほど! 「人に対する信頼」なのですね。私はこのような気持ちが何なのか言葉にできず、ひょっとしたらこれは根拠もない、あてもないただの個人的な「楽観」なのではないかと不安になることもありました。でもこうして最首さんに名前を付けていただき、現在の帆花との生活はまだまだ厳しいですけれど、人と世の中を、信じて頼って、力強く生きていかねば!とあらためて誓うことができました。
(了)
映画『帆花』
東京・ポレポレ東中野にて公開中、ほか全国順次(2022年1月末時点)
公式サイト http://honoka-film.com/
最首悟さん
1936年、福島県に生まれ、千葉県にて育つ。東京大学大学院動物学科博士課程中退。同大学教養学部助手を27年間つとめた後、予備校講師、和光大学教授を歴任。和光大学名誉教授。東大助手時代から公害問題や、障害者と社会の在り方を問い続けている。主な著書に『水俣の海底から』(1991年、水俣病を告発する会)、『星子がいる』(1998年、世織書房)など。
西村理佐さん
1976年、神奈川県横浜市生まれ。大学時代は心理学を専攻し、心理カウンセラーを目指すも断念。同じ病院に勤めていた秀勝さんと院内の交流会で出会い、2003年、27歳の時に結婚。4年後の2007年、帆花(ほのか)ちゃんを授かる。自宅で育てることを決意して以来、病院で秀勝さんと「医療的ケア」の手技を学び、翌2008年の7月に帆花ちゃんが退院。家族3人、自宅での生活をスタートさせる。著書『長期脳死の娘とのバラ色在宅生活 ほのさんのいのちを知って』(発行:エンターブレイン、2010年)を上梓するなど、執筆活動や講演活動も。