前述の保守化傾向と合わせて観察すると、大臣や首相の発言を思わせるマンションポエムがちらほら見えてくる。
「東京の暮らしが取り戻すべき、日常」(三井不動産レジデンシャル「桜上水ガーデンズ」)
「日本を、結ぶ」(ダイワハウス「プレミスト京都 烏丸御池」)
「日本人の心。けっして失われてはならないもの」(京阪電鉄不動産「ザ・京都レジデンス 御所南」)
などだ。では、あらためて問いを立てよう。マンションポエムは何を隠しているのか。これに対する答えは驚くべきことに、ほかならぬマンション自体を隠している、というものになる。次の表をご覧いただきたい。これは1148物件のマンションポエムをサンプルに、どのような語句が使われているかを分析した結果だ。 対象にしたもののうち、最も古い物件は02年のものだが、ほとんどは14年から17年のマンション。地域としては、札幌や沖縄のマンションも含まれているが、東京圏と大阪圏がほとんどである。分析にあたっては「KH Coder」というテキストマイニングソフトウェアを使っている。ちなみにテキストマイニングとは、大量のテキストデータを単語やフレーズに分解し、それらの出現頻度や相関関係を分析して有用な情報を抽出する統計学の手法である。全1148物件から抽出された語句数は19万語以上。ここから助詞などを除き、特徴的だと思われる語句をランキングにしたのが上の表である。
ご覧いただいてわかるように、上位には建築に関係する語はほとんど出てこない。マンションポエムはマンションのポエムではなく、土地の詩なのである。マンションポエムが建築を隠すのは、前述のように広告を打つ時点で建物が存在しないからもあるだろう。同時に物件の価格差を説明する根拠が、立地にしかないことも理由として大きい。
例えば同じ平米数で2LDKのマンションが、一つは津田沼で3000万円、もう一つは港区で1億円という場合だ。今日建築・内装は高度に工業部材化されており、グレードの差こそあれ、本質的にどの物件においてもそれほどの違いはない。だとすればこの7000万円の違いは何なのか。それは建っている場所の違いだ。つまりマンションを買うというのは、立地にお金を払っているのである。
これはポエム(キャッチコピー)ではないが、
「土地の上にどんなにいいものを建てても、土地に魅力がなければ住む方に喜んではもらえない。立地自体の魅力がマンション事業における重要なポイントだと認識しています」(大成有楽不動産株式会社「オーベル鷺沼マスターレジデンス」)
という文章もあった。完全な建築否定である。
理想の住まいの耐用年数
立地が価格を決めるのは当たり前ではないか、とお思いかもしれない。しかし、住まい選びは場所選びである、というのはほんとうに当たり前のことなのだろうか。思い出して欲しい。30年ほど前まで、理想の住宅は「庭付き一戸建て」だったではないか。重要なのは住まいのスペックだったのだ。さらに言えば、高度成長期の団地ブームにおいては、ダイニングキッチン(DK)やバス・トイレ付きなど近代的な建築と設備が売りであった。住宅購入において立地が価格を決めるというのは、決して当たり前ではなかったのである。
マンションポエムをバブルっぽいと評する声を時々耳にするが、1997年の規制緩和以降湾岸エリアを中心としたタワーマンションの建設がマンションポエムの始まりであり、たかだか20年ほどの歴史しかない。こんな短期間で理想の住宅観はころっと変わってしまうものだな、としみじみ思う。建築の耐用年数より価値観の耐用年数の方が短いとは。
街が選択肢として並列に並べられるというのは、極めて現代的な出来事である。「選択の結果としての住所」という認識は「住んでいる場所がその人のことを表している」という考え方を生む。街はブランドになり、ヒエラルキーが発生する。「世田谷に住んでいる」と自己紹介された場合と「浦和に住んでいる」「小岩に住んでいる」などの場合では、それぞれその地名から、その人のキャラクターをなんとなく把握したような気になってしまう。
この背景にあるのは、大都市圏における鉄道の高度な発達だ。どの方角でも同様に交通の便がよくなると、それぞれの路線と駅・街が差異を強調し始める。実際マンションポエムは最寄りの鉄道駅と路線について敏感である。利便性のフラット化が街のブランドの苗床であるというのは面白い。さらにはJR中央線で隣り合う吉祥寺と西荻窪との違いといった、非常に細分化されたイメージすら、都内に住む人間には自明のこととしてある。してみると、首都圏のアンケート調査などで定番の、吉祥寺が「住みたい街No.1」というのは暗黙の了解知が高い極めてハイコンテクストな価値観であることがわかる。マンションポエムはこのレベルの差異を増幅させて謳い上げる。前出の頻出語句ランキングの第1位が「街」であったことがそれをよく表している。
資源化する街
ここで興味深いのは、これら「街」を謳うマンションポエムが一様に「街を利用する」方向で描写されている点だ。
「家族をつなげる街。武蔵小杉」(住友不動産「シティタワー武蔵小杉」)
「発展著しい街のさまざまなメリットを高次元でバランスよく手に入れられる好ポジションに誕生」(住友不動産「シティハウスおおたかの森イースト」)
などがその例だ。家を選ぶということは、それが建つ街からどんないいことが受け取れるか、という考え方を表している。街は、自分が関与したり読み替えたりするものではなく、スペックを持った資源として選択・利用するものであるというわけだ。これはマンションポエム特有の態度というわけではなく、おそらくぼくらが漠然と抱いている街への想いの表れだろう。
マンションポエムはイメージの都市論であるというのはそういうことなのだ。