そうした中でウクライナの食文化の特徴を挙げるとするならば、ヨーロッパの穀倉地帯と呼ばれる肥沃な黒土で採れる小麦の料理にあると思います。北方のロシアが小麦よりもライ麦を作るのに適しており、ライ麦から作る黒パンが伝統的に食べられてきたのに対し、ウクライナでは小麦の生産量が多く、白パンや小麦粉の料理が発達してきました。現代のロシアでは白パンも食べますし、ウクライナでも黒パンが食卓に登場しないわけではないと思いますが、傾向として、ロシアは黒パンに強い思い入れがあり、ウクライナは黒パンよりも白パンということは言えるでしょう。たとえば、ウクライナのボルシチには「パンプーシュカ」という、ニンニクソースをかけたふかふかのパンを添えるのが定番で、これはロシアではあまり見られない組み合わせだと思います。
その他、酵母を使わずに小麦粉から作る「ハルーシカ(ガルーシカ)」という団子や、「ワレニキ」という水餃子は代表的なウクライナの小麦料理です。ワレニキはロシアの水餃子である「ペリメニ」より大きく、具となるのはジャガイモ、キャベツ、カッテージチーズなどさまざまで、サクランボ煮を入れたワレニキはデザートとして供されます。ちなみに、ロシアの作家として知られるニコライ・ゴーゴリはウクライナ出身のウクライナ人で、『ディカーニカ近郊夜話』という短編集にハルーシカやワレニキなどのおいしそうなウクライナ料理をたくさん登場させているんですよ。
――2021年3月に、ウクライナがボルシチをユネスコ世界無形文化遺産に登録申請したという報道がありました。また、2014年にロシアがクリミアに侵攻を始めたときには、ロシアのレストランでボルシチを「赤いビーツのスープ」に改名したところもあったと聞いています。食文化が時にナショナリズムの発露として使われることについて、どのようにお考えでしょうか。
先ほど、「これがウクライナ料理とはっきり言うのは難しい」「ロシアとの共通点も多い」というようなことを言いましたが、これは現在、ロシアに侵攻されているウクライナの人々にとっては受け入れがたい言説かもしれません。リヴィウ大学の原さんによれば、チャイコフスキー(祖先がウクライナのコサックであった)やストラヴィンスキー(父方はウクライナのコサックで士族の家系であったと言われている)など本人も認めていたウクライナ人のアイデンティティーがいつのまにか「純粋に」ロシアだけのものにされるなど、多くのウクライナ由来のものや人物が「ロシアのもの」にされてきた歴史があり、ウクライナ人にはボルシチまでロシアに盗られたくないという想いがあると言います。「ボルシチはロシア料理」という主張は、ウクライナ人にとっては「よく食べられている国民食だというのは認めるが、だからと言ってロシア料理と断定できるのか」という違和感があるようです。
一方、ロシアの一部にはウクライナを「小ロシア」と呼んで一段下に見て、「ウクライナはそもそもロシアの一部であり、ウクライナのものはすなわちロシアのもの」という論理がまかり通る土壌があり、プーチン大統領も同様の歴史認識を持っています。こうした認識が、ウクライナはウクライナでありロシアの一部ではないというウクライナ人の主張とぶつかるのは必然でしょう。
ウクライナが言語を始めとするロシア化を強制されてきたという歴史的経緯、そしてロシアに侵攻されている状況を踏まえれば、今のウクライナで民族意識が急激に高まっていることは理解できます。私自身は、それぞれが「ボルシチは自分たちのものだ」と主張する必要はないと思っています。とはいえ、ロシアと重なり合う共通点を強調するのか、それぞれの独自性を強調するかは、軽率にはできない、大変デリケートな問題と言えるでしょう。
一方、ウクライナへの同情からロシア文化全般への反感や憎悪をつのらせることに対しては、非常に危惧を持っています。東京・銀座のロシア食材店の看板が壊されるというニュースもありました。実際はこの店のオーナーはウクライナ人なのですが、ロシア人だったら加害していいわけではないというのは言うまでもないことです。ロシアにもウクライナ人が住んでおり、ウクライナにも民族的にはロシア人でもウクライナに生まれ、ウクライナ人としてのアイデンティティーを持っている人もいます。また、双方の国に親戚がいるという人たちも少なくありません。このように複雑に織りなされた両国の関係を考えれば、物事を単純化することはとても危険だと思います。
「戦争」をめぐる報道が加熱する中で、私たちは傷ついたウクライナの人々への配慮をしつつ、いかに客観的な視点を持ち続けるかが問われているように思います。ボルシチという、ふたつの国で親しまれている料理を味わい、その背景にあるものを考えることは、そのためのひとつの手がかりになるかもしれません。
(協力:リヴィウ大学 原真咲)