2ちゃんに代表されるものこそ、バロウズの言ってた「言語ウィルス」が悪意をもって活発な活動を展開する拠点だと思うんだよね。「言語ウィルス」はひたすら言語を消費させればいいんだから。そこにはただ消耗しかない。だからオレはあまり入れ込めないんだよね。単に生存時間を削られているだけ、って感じがするでしょ?(※4)
ウィリアム・S・バロウズ(1914-1997)は言語が宇宙から飛来したウイルスであり人間を支配していると考えた。これは言語がウイルスに感染し異常をきたしているのではなく、言語そのものがウイルスであるとする大胆な主張だ。ネット炎上に見られる一見すると正論をまといながらもその実ジャンクなフレーズが拡散してゆく様を眺めていると、このウイルスは本当に存在しているように思えてくる。
ウイルスは寄生する対象がなければ生きてゆけず、条件が揃わなければ増殖しない。ネット空間は「言語ウィルス」が暴走するにあたっては最適な環境でもありそうだ。村崎は「言語ウィルス」の増殖を鋭敏に察知し、いち早くネットと距離を置いたのかもしれない。
村崎は『コンピュータ悪のマニュアル2000』(データハウス)でも、インターネットの普及は「言語ウィルス」による「人類白痴化計画の陰謀に他ならない」と警鐘を鳴らしている(※5)。この原稿はパソコンの知識がない村崎が編集者の手引きで試行錯誤しながらネット接続を試みるもの。同書のほかの記事はハッキングの手法など具体例を紹介しているのに対し、村崎の書く内容は実にアナクロだ(※6)。
21世紀以降、ネットは常時接続がデフォルトとなった。繋がり続けるネットの先からは、スマートフォンのアプリケーションに顕著なように常に最新バージョンへの更新が要求される。ネットと距離を置く村崎の姿は自ら繋がりを切断し、あえてアップデートを拒んでいるようにも見える。それゆえに彼のたたずまいや表現が強い反時代性を帯びるのは必然でもあった。
3、出版バブルと鬼畜系/読者に与えた救い
そもそも鬼畜系ブームはどのように生まれたのかを考えるにあたり、背景にあった出版バブルは確認されるべきだろう。経済バブルは91年3月に崩壊したが、出版業界はその後も好景気が続き96年に最高売上値を記録している。
『危ない1号』の版元であったデータハウスの鵜野義嗣社長は、鬼畜系ブームは社会の余裕を背景とした「貴族文化」であったと振り返り(※7)、『Quick Japan』(太田出版)の創刊編集長の赤田祐一は、村崎や青山のふるまいは高学歴の人間たちによる「痴的遊戯」と評している(※8)。いわば鬼畜系サブカルチャーは遅れてきたバブルに沸く出版業界から生み出された鬼子であった。
鬼畜系は読者にはどのように受容されたのか。75年生まれの雨宮処凛は、20歳そこそこだった90年代なかばに社会の底辺でフリーターとしてうごめく自身にとって村崎の言葉は「救い」であり「彼がゴミを漁り、すかしきった人々の隠したい恥部を晒せば晒すほど、自分自身も一緒になってこの世の中に復讐している気がした」と振り返る(※9)。シェアハウス運営などを通し新しい生活を模索し続ける78年生まれのphaは10代後半で村崎に触れ、「あの頃の僕は普通の社会に適応できる気がしなくて、逃げ場を求めて普通の人が読まないようなヤバいものを追い求めて鬼畜系雑誌を読んでいた」と述懐する(※10)。建前や常識を取っ払った村崎の本音の言葉は、社会に対して生きづらさを感じる層にダイレクトに届き、救いや癒やしを与える効果もあったのだろう。
私は鬼畜系とは1960年代にNHKで放送されていた人形劇「ひょっこりひょうたん島」のようなものではないかと思っている。現実の社会に息苦しさや違和感を覚え、漂流(逸脱)を始めた人間がたどり着く先に村崎の言葉がある。原作者の一人であった井上ひさしは物語を作るにあたり子供向け作品ゆえ、現実問題として孤島の暮らしで生ずる水や食料不足などの飢餓の要素を取り入れず条件付きのユートピアを仮構した。その姿は出版バブルに支えられながら、バッドテイストな表現を繰り広げていた鬼畜系の人々に重ねられる。単なる「貴族文化」「痴的遊戯」であったとしても、それに救われる人たちもいたのだ。
鬼畜系の本質は、露悪的な表現のインパクトを通して、既存の道徳や一般常識とは異なる価値観や視点を読者に提示する試みにあったとも言える。村崎にはその扇動者(アジテーター)としての意識が強く存在していた。
4、社会の相対化としての鬼畜系
村崎百郎の唯一の単著、96年発行の『鬼畜のススメ』(データハウス)には「世の中を下品のどん底に叩き堕とせ!!」の副題が付く。村崎が敵視したのは80年代に達成された高度消費社会であり、バブルに浮かれる世の中に対し逆張りとして「スカしてんじゃねぇ!」と汚穢に満ちた言葉をぶつけた。
ところが村崎の来歴を見ると80年代にコピーライター養成講座に通っている。この時代、糸井重里を筆頭にコピーライターは若者の憧れの職業の一つだった。村崎は80年代のトレンドに背を向けず、むしろ只中へコミットしている。そこで下品な言葉を考えるセンスに気づき「鬼畜系」が生み出される。村崎はスカした世の中や社会を嫌い憎悪の言葉を投げつけたが、体制がなければ反体制が存在し得ないように、抵抗の対象が強固に存在してこそ成立する。
村崎のライターデビュー媒体は『ユリイカ』(青土社)95年4月臨時増刊号の「総特集:悪趣味大全」である。そこでは「ゲスメディアとゲス人間/ワイドショーへの提言」として、ゲスな話題を好んで取り上げるワイドショーと、それを楽しむ視聴者を総じてゲスであると罵る。このテキストは年末年始のテレビを観て書かれたようだが、雑誌が書店に並ぶころにワイドショーはオウム真理教をめぐる過熱報道一色に染まるため予見的な原稿だ。
(※1)
ばるぼら さやわか『僕たちのインターネット史』(亜紀書房), p.75.
(※2)
『村崎百郎の本』(アスペクト),p.118
(※3)
『STUDIO VOICE』(INFASパブリケーションズ), 2006年12月号,p.70-71.
村崎はネットを唐沢俊一との時事対談『社会派くんがゆく!』シリーズ(アスペクト)に関するリサーチ程度にしか使わなかったとされる。さらに97年に自身のホームページを開設しているが、これは96年発行の単著『鬼畜のススメ』(データハウス)の宣伝目的が大きい。Eメールを通じ一部の読者とは交流を持ったようだが、これも連絡手段(ツール)としての使い方であり、村崎がネットで独自の活動を展開した形跡はない。
(※4)
『STUDIO VOICE』(INFASパブリケーションズ), 2006年12月号,p.70-71.
(※5)
『コンピュータ悪のマニュアル2000』(データハウス), p.202.
(※6)
ばるぼらも刺殺事件後に発行された『村崎百郎の本』「村崎百郎の仕事・不完全リスト(暫定版)」で「ネット系アングラ記事を中心とした技術情報本だが、村崎は昔ながらのスタイルで書きなぐっているため浮いている」(p.350)と評している。
(※7)
東洋経済オンライン「『非会社員』の知られざる稼ぎ方「「悪の手引書」編み出した男の強烈なとがり方」(聞き手=村田らむ)
https://toyokeizai.net/articles/-/212596
(※8)
「『クイック・ジャパン』創刊編集長が語る90年代と現在:個人の眼と情熱が支えた雑誌作り」『中央公論』(中央公論新社)2021年11月号, p.114.
(※9)
『村崎百郎の本』, p.273-274.
(※10)
pha『曖昧日記2 シェアハウス最後の日々』(自主制作), p.50.
2018年6月25日の記述は前日に起こった福岡IT講師殺害事件を受けて書かれている。犯行動機はネット上の逆恨みであり、村崎刺殺事件との類似性が指摘された。
(※11)
『STUDIO VOICE』(INFASパブリケーションズ), 2006年12月号,p.70-71.
(※12)
村崎、青山の両者と親交のあった木村重樹によれば『危ない1号』には幻の特集案として「孤独」が存在したという(『Quick Japan』vol.38, p.68.)。この逸話は2001年6月に起こった青山の自死を受けての追悼記事に記されたものだが、ネットの繋がりがより人々をばらばらにし孤独や孤立を加速させる未来を見透かしているようでもある。